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おおくぼ けんじろう

大久保賢治郎

おおくぼ けんじろう

1892(明治25)〜 1983.11.14(昭和58)

大正・昭和期の海陸運送実業家

埋葬場所: 21区 1種 10側

 新潟出身。山下汽船の東京支店長などを歴任した後、川崎汽船株式会社に招かれ営業部長を務める。のちに専務取締役。
 昭和初頭の不況の影響から厳しい経営状況に陥っていた新潟臨港株式会社は、同郷出身で川崎汽船専務取締役であった大久保に、局面打開のため資本導入を相談される。熟慮の末、新潟県や新潟市の発展に大きく寄与すると考え、新潟臨港株式会社への資本投入を決意し実現させた。川崎汽船株式会社からの資本導入が実現したことで、新潟臨港株式会社はこの難局を乗り切った。
 戦後、1954(S29)新潟臨港海陸運送株式会社社長に就任。他に潟電話局長 国貿促新潟支局会長、佐渡汽船などの社長も務めた。享年91歳。没翌年、『大久保賢治郎追想録』(1984)が刊行されている。なお長男の大久保政賢(同墓)も新潟臨港海陸運送株式会社(リンコーコーポレーション)の社長を務めた。

<新潟臨港株式会社の歴史や人事録など>


*墓石前面「大久保家墓」、「昭和三十二年三月 大久保賢治郎 建之」。左右に墓誌が建つ。左側の墓誌は賢治郎の妻で政賢の母である大久保千勢(S28.7.1逝・行年53歳)から刻みが始まる。次に大久保賢治郎が刻む。戒名は大聖院釋賢海。次に長男の大久保政賢が刻み、戒名は大乗院釋賢聖。墓所右側の墓誌は「高島家霊代の碑」と刻み、高島信治、久、信久が刻む。


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