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おおひら まさき

大平正樹

おおひら まさき

1938(昭和13)〜 1964.8.6(昭和39)

昭和期の秘書官補佐、大平正芳元首相の長男

埋葬場所: 9区 1種 1側 15番

 総理大臣を務めることになる大平正芳・志げ子(共に同墓)の長男。弟(二男)の大平裕は古河電機工業常任監査役などを務め、大平正芳記念財団理事長、古代史研究家。弟(三男)の大平明は大正製薬名誉会長や全日本広告連盟理事長。
 15歳の時に、父が選挙に初めて立候補した時、応援演説を書き父を喜ばしたエピソードがある。それ故、後継の政治家として期待されていた。
 慶応大学法学部卒業。学生時代に後の衆議院議員の亀井静香(東大生)が日本学生合気道連盟を結成し委員長となった際の、副委員長として就任した。 卒業後、神崎製紙に勤めていたが、姉の芳子が嫁いだ後の自民党衆議院議員の森田一(当時は大平正芳の秘書官)の誘いで補佐となる。 森田のはからいにより、将来、政治家として役立つよう世界的な視野を広げる目的で世界旅行に旅立った。旅先のウィーンで突如、歩行困難に陥り、間接に炎症をおこす奇病に襲われた。 そのため、急きょ帰国。帰国後、眼底出血し、眼科医である森田の母や東大病院にて検査をするも病名がわからず、各国の大使館に手紙を出して情報提供を求めるも、有力な情報は得られなかった。 後に「ベーチェット病」という難病であることが分かった。失明状態での病床にて、正樹は当時外務大臣であった父に総理大臣になることを約束し絶命した。享年26歳。
 それから、14年後の12月に大平正芳は第68代内閣総理大臣となる。自由民主党新総裁に決定したその日に、父大平正芳は多磨霊園に眠る正樹の墓へ赴いたという。

<内閣総理大臣伝など>


墓誌

*墓所は正面に大平正芳・志げ子の墓、左側に大平家の墓、右側に大平正樹の墓。左袖に大平正芳の碑。 右隣りの墓所は母の志げ子の実家の墓であり、祖父の鈴木三樹之助(三木証券社長)の墓がある。

*大平正樹の墓には正面に「パウロ三木 大平正樹」、裏面に「昭和39年8月6日歿 行年26才 父であり友であった 大平正芳建立」と刻む。


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