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おみだ たかよし

小美田隆義

おみだ たかよし

1852(嘉永5)〜 1925.3.3(大正14)

明治・大正期の国家主義者

埋葬場所: 3区 1種 16側

 肥前島原(長崎県)出身。剣豪として知られ、1895.4.17(M28)渡辺昇、丹羽圭介らと大日本武徳会を創立した。小美田は「劉宜和尚」の別名を持ち、身分や職業構わず幅広い人付き合いをしていた。伊藤博文や木戸孝允(たかよし)らに接し政界のファクサーとして裏面で活躍。伊藤博文が政友会の政党を立ち上げるにあたり、その資金を小美田が用意している。その後、内田良平(14-1-9-12)とともに日韓合邦運動を展開した。享年74歳。

<講談社日本人名大辞典など>


*正面「小美田家墓」。左側に墓誌がある。戒名は空空庵昌南隆義優婆塞。没年月日と行年が刻み、俗名は刻まれていない。

*俗名の刻みがないが、戒名から名前が見れること、生没年月日や行年の一致、息子の小美田一彦も眠るなど一致箇所が多いため確定した。

*多くの人名事典では「小美田隆美」と紹介しているところが多いが、墓誌の戒名内に「隆義」とあることや、盟友で政治運動家の杉山茂丸が著した『杉山茂丸過去帳』は「小美田隆義」という名前で出てくることから、「小美田隆義」が正しいと判断し「隆義」で紹介します。


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