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おくだ しょうぞう

奥田象三

おくだ しょうぞう

1857(安政4.5.25)〜 1928.6.3(昭和3)

明治・大正期の建築技師

埋葬場所: 2区 1種 1側

 京都伏見出身。奥田橘平の二男。1875(M8)18歳の時に上京し、大鳥圭介に仕へる。圭介から信任を博し、圭介の娘の ひな子(同墓)と結婚。
 工部大学校で工学を修めた。1882以降、工部省、工科大学、学習院、建築局、内務省などに奉職。英国人建築技師のコンダーに就き、建築学を学び、1896 官を辞して、三井合名会社建築部員となる。1901 逓信技師に任ぜられる。'11 逓信技師を辞して、三共製薬会社監査役に就任した。その後、東京製薬株式会社、三井製薬、泰昌製薬の各監査役を兼ねた。
 化学者の高峰譲吉と親交が厚く、'22(T11)に高峰譲吉が亡くなった時には、青山霊園にある高峰譲吉の墓を設計している。従6位 勲6等。享年71歳。


墓所

*墓所には4基。左から「奥田氏塚」と刻む大きな石。「みな子 奥田象三妻 大鳥氏圭介長女 文久元年五月二十五日生 大正十弐年弐月廿三日歿」と刻む寝石。「奥田象三 伏見住橘平二男 安政四年五月二十五日生 昭和三年六月三日歿」と刻む寝石。洋型「奥田家」、右面「昭和三十一年八月吉日建之 施主 奥田房子 大久保三和子」。

*妻の ひな子(文久1.5.25-T12.2.23)は明治維新で榎本武揚や土方歳三らと五稜郭で奮戦した大鳥圭介の長女である。1860 大鳥圭介が みち と結婚した翌年(五稜郭での敗戦の9年前)に生まれている。大鳥家・男爵を継いだ大鳥富士太は弟。

*奥田象三とひな子の間には1男4女を儲ける。長男は永吉(1900.12-)。長女の千代は塩原又策(以前・多磨霊園に墓所があったとされる)、二女の八重は小島誠、三女の美枝は田篤(2-1-6-6)、四女の和歌は西川忠雄に嫁いだ。


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