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おきの せつぞう

沖野節三

おきの せつぞう

1897(明治30)〜 1976(昭和51)

昭和期の歯科学者、日本大学名誉教授

埋葬場所: 26区 1種 16側

 日高郡龍神村出身。旧姓は亀井。作家の沖野岩三郎(同墓)の養子。
 新宮中学、東京歯科医学校(現・日大歯学部)卒業。日大教授になって後スイス留学、チューリッヒ大学、ウィーン大学に学ぶ。 一時九州歯科医専教授・付属病院長をした後日大に戻り、教授兼付属病院長に。日本歯科医学会会長、アジア歯科医学会会長、日米歯科医学会会長等歴任。 数多くの歯科医療器械を発明したことでも知られ、その発明功労により1966(S41)歯科学会初の紫綬褒章を受章、1968(S43)勲二等瑞宝章に叙された。

<朝日人名辞典>
<沖野節三のお孫様の酒井洋一様より情報提供>


墓所 墓誌

*墓所内に沖野岩三郎と節三の墓誌碑が建つ。


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