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おぎの よしお

荻野義夫

おぎの よしお

1917.1.5(大正6)〜 2005.10.30(平成17)

昭和・平成期の医用電子工学家、
実業家(日本光電工業)

埋葬場所: 20区 1種 22側

 東京都出身。1940(S15)早稲田大学理工学部電気工学科卒業。陸軍工兵科見習士官に任官、近衛工兵聨隊入隊。翌年陸軍科学研究所所員。 研究員仲間に井深大(17-1-8-7)がいた。'45.11逓信省電気試験所研究員。'46日本無線(株)入社。'50(株)日本無線医理学研究所研究部長。
 '51慶応義塾大学医学部全科聴講終了、全科試験に合格。同年日本で医用電子工学の産業を最初に興した日本光電工業(株)を設立し代表取締役専務に就く。 創業の動機は「一人の医者として病気を治すことには限りがある。しかし、医療機器なら、それを世界中に広めることで、限りない人々に貢献できる」である。 当初12名でスタートした日本光電は、そのわずか5ヵ月後に世界で初めて交流式脳波計の開発に成功。'56同社代表取締役社長。'60医学博士の学位を授与。 '82東証一部に上場。国内トップシェアの製品を数多く持つ、リーディングカンパニーに成長したと同時に、「医療に国境はない」という考え方から海外にも積極的に展開、脳波計は世界トップクラスシェアを獲得した。'89(H1)同社代表取締役会長。'96同社名誉会長。
 この間、科学技術庁の電子技術審議会専門委員、通商産業省に電子工業審議会専門委員、総理府に科学技術会議専門委員、文部省に学術審議会専門委員として公職に携わった他、京都府立医科大学客員講師、慶応義塾大学医学部生理学講師、昭和大学教養部医用電子工学客員教授の教職にも携わった。 他に、日本電子機械工業会理事、医用電子技術委員会委員長、慶応健康相談センター評議員、日本医科器械学会代議員、医療技術研究開発財団監事、研究開発課題選考推進委員会委員、日本心臓血圧研究振興協会評議員、日本ME学会副会長・理事・評議員・名誉会員などを歴任した。 また世界心臓学会等の国際会議委員などを歴任。'54特許庁長官賞受賞、'81藍緩褒章、'89勲四等旭日小緩章。従6位。老衰のため死去。享年88歳。2005.11.17社葬が護国寺桂昌殿にて営まわれた。

<訃報および社葬記事にて>


 


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