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おがわ ともあき

小川知彰

おがわ ともあき

1847(弘化4)〜 1926.6.2(大正15)

明治・大正期の眼科医、医学教育者

埋葬場所: 15区 1種 10側

 岡山県出身。1879(M12)東京帝国大学別科卒業。卒業後、岡山県医学校の教師となり、主に解剖学や生理学を講義した。岡山県病院医局長を兼任。横川吸虫を発見し世界的に知られた寄生虫学者の横川定(1883‐1956)らは教え子。
 賢明で働き者の村山郷太郎を気に入り、娘の順と結婚させ婿養子に迎えた。小川郷太郎は後に政治家として活躍した。晩年は、岡山にて眼科医として開業した。享年79歳。戒名は隆徳院仁濟知彰居士。


*墓所は正面「小川家之墓」。左側に墓誌があり、各々の名前が刻む。

*孫は実業家として活躍した小川彰(1905-1989.4.26)、曾孫の小川英典(1941-2007.5.20)も住友系列の実業家。全員同墓に眠る。


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