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おがわ けんざぶろう

小川剣三郎

おがわ けんざぶろう

1870(明治3)〜 1933.12.25(昭和8)

明治・大正・昭和期の眼科医学者

埋葬場所: 13区 1種 21側

 静岡県出身。藩医の小川清斎の三男として生まれた。兄(次男)にステンドグラス工芸家の小川三知(1867〜1928)がいる。 なお、長男の漣平のみ前妻の浅香の子(漣平は若くして没する)。剣三郎らの六人兄弟は後妻の伊佐の子である。 家督および医者への後継ぎとして次男の三知への期待が高まるも、三知は一切を弟の剣三郎に譲り、東京美術学校に進学し絵の道へ進んだ。
 東京帝国大学卒業。1902〜'12(M35.11〜M45.5)岡山医学専門学校(岡山大学医学部)3代目眼科教授。 前任の2代目は井上通泰(19-1-12)。この間、'04から二年間ドイツ留学。'06.2帰国し復帰。'26(T15)日本医科大学の初代眼科学教授。 '30(S5)『眼目精要』と『眼科医療手引草』との関係について中外医事新報に研究発表。'31東京上野に小川眼科病院を開業し院長。 日本医史学会、医学博士。主な著書に、『近世眼科学 第4巻』、『稿本日本眼科小史』、『日本眼科学史』、訳書『医術と迷信』がある。 享年63歳。戒名は天眞院清節獨朗日高居士。妻は梅子。子は静男(H6.5.19 76歳没)。


 


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