メイン » » » 尾竹国観
おだけ こっかん

尾竹国観

おだけ こっかん

1880.4.21(明治13)〜 1945.5.18(昭和20)

明治・大正・昭和期の日本画家

埋葬場所: 13区 1種 8側 6番

 新潟県出身。本名は亀吉。兄の尾竹越堂、尾竹竹坡、ともに日本画家となる。
 高橋太華、小堀鞆音(7-2-7-1)に師事して歴史画を学ぶ。日本美術協会展、前期日本美術院展などで入選を重ね、1907(M40)東京勧業博覧会に《手柄話》で二等賞牌を受賞、1909第3回文展に《油断》で初入選、二等賞を受賞、以後1911(M44)第5回文展に《人真似》で三等賞、1912(T1)第6回文展に《勝鬨》で褒状、1915第9回文展に《血路》で三等賞を受賞するなど活躍をみせる。 この間、兄弟と八華会を結成、定期展を開催する。その後、一時官展から離れるが、1931(S6)第11回帝展に《巴》で入選、翌年帝展推薦となり、帝展改組では1935第一部会の結成に参加する。 1936秋の文展招待展に《富士筑波》を招待出品、'37、'38と新文展に無鑑査出品、1940紀元二千六百年奉祝美術展に《丹生川辺の厳[今瓦]》を出品、1944戦時特別文展に《実盛染髪》を無鑑査出品するが、晩年はあまり振るわなかった。疎開先で没、享年65歳。

<物故日本画家事典94頁>
<五輪塔様より情報提供>


*墓所は谷中霊園徳川家墓地にもある。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。