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おちあい たかし

落合 尚

おちあい たかし

1919.12.5(大正8)〜 2000.9.26(平成12)

昭和・平成期の実業家(八洲電機)

埋葬場所: 16区 1種 1側

 岡山県井原市出身。父は八洲電機創業者の落合完二(同墓)。
 1943(S18)東北帝国大学法学部法学科卒業。同年日本鉱業に入社した。戦後、朝鮮での鉱山経営から身を引いて日本に戻ってきた父が、'46.8(S21)東京神田に「八洲電機商会」を創業した。これを機に八洲電機に転じた。
 八洲電機の「八洲(ヤシマ)」とは、世界に通用する会社を築きたいとの思いから、古事記や日本書紀に記されている、日本国の古称、八つの島の『大八洲』に由来して名付けた。日立製作所と特約店契約を結び、日立製品を一手に引き受けることで、父子奮闘し会社を大きくしていった。
 '56.12 本社を港区芝田村(新橋)に移転。'60 株式会社に改組し「八洲電機株式会社」に商号変更。父の完二が代表取締役社長となり、尚は代表取締役副社長に就任。'64 父から引き継ぎ二代目社長に就任。'97(H9)長男の落合憲に社長を交代し、会長に就任した。
 ほかに、中国八洲電機社長、八洲エンジニアリング社長、東京産業人クラブ常任理事なども務めた。享年80歳。

<岡山県人名事典>
<講談社日本の企業がわかる事典など>


墓所 落合完二社長像 伊集院家之墓

*墓石は和型「落合家之墓」、裏面は墓誌となっている。最初の刻みは完二の前妻の刻みで始まる。「貞松院清室慈久大姉 俗名 落合久代 落合完二の妻也。杉浦義言の長女、大正七年四月落合家に嫁し、翌八年十二月三十日没す。享年二十五歳」と刻む。完二の戒名は知無量院修徳浄完大居士。後妻はテル(S55.12.20没・享年83才)で戒名は圓鏡智院慈室浄照大姉。八洲電機を継いだ長男の落合尚の戒名は浄光明院泰道賢尚居士。尚の妻は照子(H25.5.17没・享年85才)で戒名は浄蓮華院泰室映照大姉。なお墓石の右側にも独立して墓誌が建ち、冒頭に「平成八年父母十七回忌 建墓誌以祈冥福 平成八年八月八日 落合 尚」と刻む。墓所右手前に「落合完二社長像」が建つ。墓所左側に古い和型「伊集院家之墓」も建つ。裏面が墓誌となっており、伊集院金次から刻みが始まる。金次のところには「明治十年 西南之役 西郷南洲翁と共に出陣し、四月十六日肥後国大津戦争に於て戦死す。時年二十」と刻む。金次の妻の倉於清(M26.11.10没)、生後六カ月で亡くなった一雄(恵一の子)、他に伊集院恵一(T4.12.11・享年55)、恵一の妻のタメ(T10.12.31・享年71)が刻む。落合家と伊集院家の関連性は不明(妻方と推測する)。


落合 憲 おちあい けん
1957.5.3(昭和32)〜 ご健在
八洲電機 3代目社長
 1980.4(S55)株式会社日立製作所入社。'84.7 八洲電機株式会社に転職。'89.6(H1)取締役となり、'92.6 常務取締役、'93.6 専務取締役、'95.6 副社長を経て、'97.6 代表取締役社長に就任した。2013.4 会長。2014.1 公益財団法人 八洲環境技術振興財団代表理事。2017.6 八洲電機の相談役に退いた。


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