新潟県出身。近藤宏太郎の4男として生まれる。旧姓は近藤。1937(S12)京都帝国大学工学部機械工学科卒業。三菱重工業に入社。岩崎俊彌(同墓)の急逝で未亡人となった八穂(同墓)と養子縁組し、俊彌と八穂の三女の温子(同墓)と結婚し婿養子になる。
名古屋航空機製作所、名古屋発動機製作所、静岡発動機製作所、川崎機器製作所勤務を経て東京自動車製作所に転じる。'58.10川崎製造部長、'65.3川崎自動車製作所副所長を歴任し、'67.5川崎自動車製作所所長に就任した。'70三菱重工の自動車部門が三菱自動車工業として分離独立したため、同.5 取締役に就任。同.6 トラック事業部東京自動車製作所長を委嘱され、'73.5常務に就任。'79.6顧問に退いた。その間、東北三菱自動車部品工業社長を務めた。 肺炎のため逝去。享年91歳。