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いわがみ ふみお

岩上夫美雄

いわがみ ふみお

1898.4.25(明治31)〜 1986.12.28(昭和61)

大正・昭和期の官吏、県知事、弁護士

埋葬場所: 6区 1種 5側

 東京府出身。祖父は岩上易次郎(同墓)。父は弁護士から実業家に転身し岩上(名)代表社員、藤倉工業(株)監査役を務めた岩上照雄(同墓)。
 1921(T10)高等文官試験行政科合格。'22 東京帝国大学法学部法律学科卒業。内務省に入省。山梨県理事官、大阪府工場監督官、奈良県書記官 兼 警察部長、岡山県書記官 兼 警察部長、愛知県書記官 兼 警察部長、警視庁警務部長、北海道庁総務部長を歴任した。
 '40(S15)留岡幸男(13-1-18-1)の後を継ぎ、第39代 秋田県知事に就任(任期:1940.7.24-1943.7.1)。戦時下の体制整備に尽力した。県知事退任と伴に内務省を退官し、大日本産業報国会常務理事となる。
 戦後は公職追放。解除後、食安水産物副社長、'57 東邦電化取締役、'61 日本協立地所常任監査役、'68 弁護士を開業した。正5位 勲4等。享年88歳。

<日本歴代知事総覧>
<人事興信録>


*墓石は蔵状「岩上家之墓」。右側に墓誌が建つ。祖父の岩上易次郎(M27.7.25歿・行年74才)から刻みが始まる。祖母はゑい(M35.4.17歿・75才)。父は弁護士・実業家の岩上照雄(文久2.12-S9.5.13)。母は ぬい(M1.7-S18.6.18)は群馬県出身、旧姓は大塚。照雄は二男であるが、長男が早死したため家督を相続。1913(T2)長男の英夫(S30.4.21歿・行年67才)に家督を譲り、照雄は分家している。墓誌によると「昭和四年 当墓地納骨堂一式 建之 岩上照雄」と刻むため、岩上家の墓所は多磨霊園に合葬したことがわかる。

*岩上照雄と ぬい の間には3男2女を儲ける。長男は英夫、二男が夫美雄。三男は義雄(M33.6-H1.4.6)。長女は登喜(M35.2生)、二女は八重子(M43.3生)。なお義雄の妻はハツ子(M37.3-S45.5.13:神奈川県出身・高橋幸太郎の長女)。岩上義雄は藤倉電線会社技師。


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