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いとう ちゆう

伊藤痴遊

いとう ちゆう

1867(慶応3)〜 1938(昭和13)

明治・大正・昭和期の講釈師、政治家

埋葬場所: 22区 2種 16側 52番

 本名は仁太郎(にたろう)。横浜出身。15歳で自由党に入党。1883(M16)政治演説の禁止令が出たため政治講談を始めた。 87同志の投獄に際し、その差入れ費用を稼ぐため、横浜で政治講談をもって旗上げし、92痴遊と名のり、以来〈新講談〉と称し、維新の偉人伝、政界裏面史、自由党史などを得意とした。 星亨の知遇を得、その死後犬養毅の支持を受けた。1928(S3)第一回普選より衆議院議員に当選2回(東京府第3区選出)、立憲政友会に属した。 浅草区会議員、東京市会議員、同府会議員を歴任。〈話術倶楽部〉の結成とともに会長。話術の巧みさは当時空前絶後といわれた。
 また蔵書家として知られ、約5万冊に及ぶ蔵書や膨大な新聞資料は〈痴遊文庫〉として日本放送協会に保管された。主な著書に『西郷南洲』『井上侯全伝』『痴遊全集』三十巻『近世二十傑』『維新十傑』。

<コンサイス日本人名事典>
<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<MATSU様より情報提供>


いとう ちゆう

*伊藤仁太郎を「いとうにんたろう」と呼んでいる文献もある。

*墓所の墓石は「伊藤仁太郎」と刻む。

*2代目伊藤痴遊(本名:妹尾謙治)も同墓に眠る。墓誌有り、本名で刻む。


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