| 歴史が眠る多磨霊園 |
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伊藤友司 | ||||||||||||||||||||
いとう ともし | |||||||||||||||||||||
| 1912.5.9(明治45)〜1967.8.6(昭和42) | |||||||||||||||||||||
昭和期の宗教家(真如苑・摂受院) | |||||||||||||||||||||
| 埋葬場所: 22区 1種 27側 5番 | |||||||||||||||||||||
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法号は摂受院友司慈凰大僧正。山梨県北巨摩郡高根村の内田義平の長女に生まれた。 内田家は祖母・伯母と継承する霊能者の家系であった。1932(S7)同郷で遠戚の伊藤文明(真乗)と結婚。 伊藤家には、易学の甲陽流病筮鈔が伝承されてきた。 真乗は東京立川で航空技術者であったが、この易筮によって各種の相談事に応じていた。 しかし、友司の観音信仰によって次第に仏教を習学して、'35不動明王を勧請した。 翌年、友司は真乗と寒行するが、霊能体験をし、霊意によって立教した。 真乗は京都の醍醐寺で得度し、友司とともに立川不動尊教会を創立した。 '48まこと教団を設立し、'51真如苑と改称した。真乗は教主、友司は苑主に就任した。 摂受院は仏教の難しい教えを自ら具体的な生活の場で実践して示し、その教えは「お勝手説法」と親しまれた。 またその類いまれな霊能の働きから真如苑の霊祖とされる。1950(S25)5月、真如三昧耶法を畢る。 '57信者のために女性十七訓を発表。また、接心修行を信仰の中心とし、常楽我浄の涅槃精神の休現をめざした。 '59霊能感謝祭を行った。'66醍醐派から教主に大僧正、苑主に権大僧正が贈られた。 この年、タイでの第八回世界仏教徒会議に副団長として参加した。 翌年、欧州宗教交流親善使節団の副団長として渡欧、ヴァチカンはじめ、欧州八ヵ国を歴訪した。 寂年56歳。歿後、有髪の女性として初めての大僧正位が追贈された。 <日本仏教人名事典22頁>
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