山梨県北巨摩郡長坂町出身。
父から伊藤家家伝の易学「甲陽流病筮鈔(びょうぜいしょう)」を受け継ぐ。
1932(S7)内田友司と結婚。35.12.28に運慶作と伝わる大日大聖不動明王を勧請。
翌年2月8日、友司と共に宗教専従の道に立つ。同年5月、真言宗醍醐派総本山醍醐寺(京都市)にて出家得度。
38燈檠山真澄寺を建立。醍醐寺にて39に恵印灌頂、41には金胎両部伝法灌頂を修め、大阿闍梨となる。
戦後、真言宗から独立して「まこと教団」を設立。
53新たに施行された宗教法人法のもと、大般涅槃経を根本経典とする宗教法人「真如苑」を設立。
57本尊・久遠常住釈迦牟尼如来謹刻。66祖山醍醐寺から大僧正位を受ける(3月)。
同年11月、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本仏教界代表として出席。
67「欧州宗教交流国際親善使節団」団長としてヨーロッパ8カ国を歴訪、ローマ法王パウロ6世と会見し涅槃像を贈る。
立川市南口に教壇本部など建物が立ち並ぶ。