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いとう しんじょう

伊藤真乗

いとう しんじょう

1906.3.28(明治39)〜 1989.7.19(平成1)

昭和期の宗教家(真如苑・開祖)

埋葬場所: 22区 1種 27側 5番

 山梨県北巨摩郡長坂町出身。 父から伊藤家家伝の易学「甲陽流病筮鈔(びょうぜいしょう)」を受け継ぐ。 1932(S7)内田友司と結婚。35.12.28に運慶作と伝わる大日大聖不動明王を勧請。 翌年2月8日、友司と共に宗教専従の道に立つ。同年5月、真言宗醍醐派総本山醍醐寺(京都市)にて出家得度。 38燈檠山真澄寺を建立。醍醐寺にて39に恵印灌頂、41には金胎両部伝法灌頂を修め、大阿闍梨となる。 戦後、真言宗から独立して「まこと教団」を設立。 53新たに施行された宗教法人法のもと、大般涅槃経を根本経典とする宗教法人「真如苑」を設立。 57本尊・久遠常住釈迦牟尼如来謹刻。66祖山醍醐寺から大僧正位を受ける(3月)。 同年11月、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本仏教界代表として出席。 67「欧州宗教交流国際親善使節団」団長としてヨーロッパ8カ国を歴訪、ローマ法王パウロ6世と会見し涅槃像を贈る。 立川市南口に教壇本部など建物が立ち並ぶ。

<コンサイス日本人名事典>
<宗教大事典>


墓
墓
霊言 *クリックで拡大

*小金井門の近くにあるこのお墓は、毎日立派な供養花があがり、手を合わす多くの信者が絶えない。

*信仰者たちがボランティアで早朝の立川市駅周辺の清掃や、また多磨霊園の清掃等をしている姿をよく見かける。

*墓石裏面には『霊言』として
「ひとごとではない自分ごと」
「僕が救われるより一人も多くの方が救われることが嬉しい」
という言葉がなどが刻む。


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