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いとう おうすけ

伊藤翁介

いとう おうすけ

1911.2.26(明治44)〜 2009.2.28(平成21)

昭和・平成期の作曲家、ギタリスト

埋葬場所: 26区 1種 33側

 東京都出身。建築家・発明家の伊藤為吉・喜美栄の七男。菅原明朗に師事。1934(S9)までオルケストル・シンフォニカ・タケイ、'45までビクターの専属、'47までNHK専属となり、その後フリーとして活動した。
 '37ボムクラブ、'47新風社、'66詩と音楽の会、'69日本童謡協会を設立。また、'51ギターの表面振動板の共鳴理論を確立した。 代表作『爪色の雨』(作詞 サトウハチロー)など多数の歌曲や童謡を作曲した。 主な作品に、『猫の変身マーチ』(作詞 五味清花)、『地球の病気』(作詞 藤田圭雄)、『あしか』(作詞 藤田圭雄)、『胡桃』(作詞 サトウハチロー)などがある。 また、中学校や高校の校歌を手掛けることも多く、'52岩手県立水沢高等学校校歌を手掛けた際の作詞は草野心平である。 '79『こどものうた』で第9回日本童謡賞。'92(H4)第4回サトウハチロー賞を受賞。著書に『伊藤翁介歌曲集』『現代奏法によるカルカッシ・ギター教則本1〜4』がある。
 日本作曲家協議会理事、日本音楽著作権協会監事、日本童謡協会常任理事を務める。伊藤音楽研究所を主宰した。 胆管炎のため東京都杉並区の病院で逝去。享年98歳。葬儀・告別式は永福寺会館で営まわれ、喪主は長男の瞭介氏がつとめた。

<訃報記事など>


【伊藤家】
 伊藤翁介は十人兄弟の七男末子であるが、その兄姉らは文化・芸術に優れた人物が多数いる。

父親は建築家・発明家の伊藤為吉。
姉・長女の嘉子は陸軍大将の古荘幹郎(20-1-18-11)に嫁いだ。
兄・長男の伊藤道郎は舞踊家。なお、その子は歌手・俳優のジェリー伊藤、妻は日本舞踊の花柳若菜。若菜の兄は小説家の山口瞳。
次男の伊藤鉄衛は建築家。
三男の伊藤祐司は音楽家・舞台美術家。その妻は舞踊家のテイコ・イトウで、その子が作曲家・ドラム奏者の伊藤貞司。
四男の伊藤熹朔は舞台美術家。その子が女優の伊藤弘子、弘子の夫は俳優の長谷川哲夫、その子が女優の上原真美。
次女の暢子は洋画家の中川一政に嫁ぐ。なお、その子は舞踊評論家の中川鋭之助と、テレビ演出監督の中川晴之助で、晴之助の子が女優の中川安奈。
五男の圀夫(千田是也)は俳優・演出家。妻の岸輝子は女優。
三女の愛子は歌舞伎役者の3代目坂東寿三郎に嫁ぐ。
六男の伊藤貞亮は建築家。
翁介の妻の伊藤多津子は声楽家・作曲家。
子・長男の伊藤瞭介はゼファー(小型風力発電機メーカー)社長、山水電気社長の実業家。
子・次男の伊藤幹翁は作曲家・指揮者・童謡研究家。


墓所

*墓所に翁介が作曲した『爪色の雨』(詞 サトウハチロー)と、多津子が作曲した『魚の子守うた』(詩 藤田圭雄)の曲碑が建つ。 この碑は生前建墓したものである。なお、翁介以外の一族はほぼ染井霊園(1イ4-2)の「伊藤家之霊舎」に眠る。 染井霊園墓所での確認済み者は、伊藤為吉、伊藤道郎、伊藤熹朔、千田是也、岸輝子。


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