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いそべ ゆきこ

磯部幸子

いそべ ゆきこ

1913.8.23(大正2)〜 1988.1.15(昭和63)

昭和期のエスペランティスト

埋葬場所: 4区 1種 25側

 東京出身。旭電化社長の磯部倫一郎・つる(共に同墓)の一女。東京府立第二高女、自由学園、米国カリフォルニア大学に学ぶ。1933(S8)20才でエスペラント語を学び始める。翌年卒業。東京で国際機関で働いた後、通訳。'53〜'59 ハワイの商社に勤務する。
 '59〜'70 日本エスペラント協会(JEL)。この間、'65 東京で開かれた第50回世界会議にLKKのメンバーとして参加。財団法人日本エスペラント学会の評議員、理事を歴任。'71 日本エスペラント協会のエグゼクティブディレクターに選出される。
 '79 日本エスペラント協会 第5代理事長に就任し、没するまでその職にあった。'86 第50回北海道エスペラント大会に出席し『エスペラント百周年記念事業計画について』と題して講演を行った。エスペラント語への翻訳として、有島武郎(10-1-3-10)『小さき者へ』などがある。エスペラント語の普及・発展に命を捧げた。心不全のため. 東京医科大学病院で逝去。享年74歳。

<墓所内の碑など>


墓所

*墓石は洋型で、前面には星のマークと「ISOBE,Yukiko」と刻む。左側に碑が建つ。碑の左側はエスペラント語で磯部幸子の略歴、右側は日本語で略歴が刻む。碑の右下に「1988.11.15 長男 磯部俊行 / 次男 磯部繁通 建之」と刻む。


【エスペラント】
 エスペラント(esperanto)とは、万国共通語(第二言語としての国際補助語)を目指す人造語(人工言語)。 ポーランドのルドヴィコ・ザメンホフが1887発表。エスペラントを話す者はエスペランティストと呼ばれている。 日本では二葉亭四迷が普及に尽力した。

石碑


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