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いしざと とうしゅう

石里洞秀(2代目)

いしざと とうしゅう

1756(宝暦6)〜 1827(文政10.2.5)

江戸中期の絵師

埋葬場所: 3区 2種 43側

 石里家は代々福岡黒田藩御用絵師(黒田家江戸詰の絵師)。名は美章、美信、美敬、美之。別に芝蘭斎、加水斎などと称していた。同名の狩野派画家の石里洞秀(3-1-31:駿河台狩野派代々の墓所)の養子。
 狩野派および風俗画をよくした。1803(享和3)幼い藩主の黒田斉清のために妖怪変化絵巻を制作した。福岡藩関係の絵師では昌運、幽元に次いで法橋に叙せられたのが特筆される。
 『駒絵図巻』は、陸奥国相馬藩窯の田代家で、駒焼の絵付の手本の一つとして使われた。作品に『柳燕図』『養老孝子図』『西湖図』があり福岡県立美術館が収蔵している。享年70歳。護国院墓域より改葬。
 石里家は代々黒田家江戸詰の絵師であったことが伝えられるが、養父の洞秀の代以前についてはまったく不明である。福岡の尾形家とは同じ駿河台狩野家を師家とすることから親交があったらしく、洞秀と尾形洞谷との間には書簡のやり取りや絵手本の貸し借りをおこなっている。

<福岡県立美術館「石里洞秀収蔵品紹介」>


墓所

*墓所には6基あり、正面に五基並び、真ん中に「石里家之墓」。その右隣りの墓に「善連院義山洞秀居士」の戒名が刻む石里洞秀の墓が建つ。


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