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いしざか かずよし

石坂一義

いしざか かずよし

1921.3.12(大正10)〜 2011.3.16(平成23)

昭和・平成期の銀行家、実業家(ケンウッド)

埋葬場所: 13区 1種 1側 9番

 東京出身。石坂泰三(同墓)の長男。叔父に東芝アメリカ社長を務めた石坂信雄(同墓)がいる。東京帝国大学を卒業し、日本銀行に入る。長崎支店長や考査局長などを経て、'75(S50)理事。
 '79連結ベースで16億円の赤字で経営不振に陥っていた音響メーカー「トリオ」に移り、'80社長。当時は急激なビデオの普及と、オーディオ購買層の若年化。とりわけ弱者の関心はソニーが発売したウォークマンを始めとするゼネラルオーディオであり、ハイコンポ指向の専業メーカーを直撃して、オーディオ不況が襲っていた。トリオは創立以来最大の100億もの在庫を廃棄処分した。石坂は経営再建のため、'82ブランドを「ケンウッド」にし、'86社名も株式会社ケンウッドに変更。合理化と通信、計測分野への進出で、ことごとく商品はベスト・セラーになり経営再建を果たす。
 '90(H2)会長に退く。石坂が現場から離れると、経営がこじんまりし、オーディオのマーケット縮小より、移動体通信を中心とするいくつかの新規事業に活路を求めていたが、それがことごとく失敗を重ねた。'99相談役。14年間続いていたヨットレースのケンウッドカップも2000年に幕を閉じ、翌年170億円という巨額の債務超過を出す。産業再生法を申請し様々な改善を試みたが、結果的に、2011ケンウッドはビクターと合併し、JVCケンウッドが設立された。この年に石坂は逝去。享年90歳。

<講談社日本人名大辞典など>


碑 歌碑

*墓石正面は「石坂家之墓」。裏面に「一九五三年三月 泰三 建之」と刻む。墓石右側に墓誌が建つ。墓誌には右から、泰三次男で東大農科学生で学徒出陣し陸軍少尉で比島カヤパで戦死した石坂泰介。泰三の妻・織田一長女の石坂雪子。石坂泰三。泰三五男で東芝アメリカ会長を務めた石坂信雄。泰三三男でMBPジャパン株式会社監査役を務めた石坂泰夫。泰三長男で日本銀行からケンウッドの中興の礎と言われた石坂一義が刻む。また墓誌の最後に刻む相京紀子(1946-2018.7.7)は石坂一義の長女で三菱地所ビルマネジメント社長などを務めた相京智彦に嫁いだ人物。

*墓所内には左側に石坂泰三略歴碑が建つ。また右側には泰三の句碑も建つ。「戯れよ 投げし小石の ひびきより きくなみに 面白きこの世  昭和四十一年十月 泰三」

*妻の治子(伯爵の二荒芳徳の四女)の母方の祖父は北白川宮能久親王。長女の紀子は三菱地所ビルマネジメント社長などを務めた相京智彦に嫁ぐ。長男の啓一(妻は久美)はフージョン代表取締役。



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