山口県長府出身。幼いころ広島女学校付属幼稚園に在園中、園長 A.E.ゲインズに憧れ、園長先生のようになりたいと将来を決めたという。東京保姆伝習所を卒業。同校教師で米国夫人宣教師のジェネビーヴ・タッピング(外-1-2)の援助で、1905(M38)より渡米。オハイオ州シンシナティ大学師範科で幼稚園教諭の資格を取得した。更に同州のウェストン大学に学び、'10 帰国。
帰国後すぐ、東京保姆伝習所長に就任。またタッピングが創設した付属の彰栄(しょうえい)幼稚園の園長にもなり、実際の保育に携りつつ保育者養成に尽力した。キクは日本の幼稚園の草創期にその生涯を幼児教育に捧げる決心をして、'17(T6)再び渡米。コロンビア大学教育学部に学び、学位を得て三年後に帰国。
欧米の進歩的な保育法を導入した。特に律動遊戯は、音楽を聞いて各自が自由に表現する創作リズムで、表情遊戯の盛んな大正期にあって時代に先駆けたものであった。編著に120曲の楽譜を掲載した律動の本がある。また基督教保育連盟関東部会会長を務めた。戦後もアメリカ各地の教育視察を行った。'63(S38)米国ウェストン大学から博士号を受けている。
1921(T10)から亡くなる1967(S42)の、実に46年の長きに渡り園長を務めた。享年83歳。