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いさか なおもと

井坂直幹

いさか なおもと

1860.10.14(万延1.9.1)〜 1921.7.27(大正10)

明治・大正期の木材事業家(木都の父)

埋葬場所: 16区 1種 19側

 常陸国水戸(茨城県水戸市渋井町)出身。水戸藩士の井坂幹の長男として生まれる。幼名を亮太郎。直幹は「ちょっかん」と呼ばれた。
 漢書を学び、栗田寛の彰考館にて大日本史資料編集に従事。1881(M14)石河幹明(12-1-13)、高橋義雄らと共に慶應義塾に寄食し学び、卒業後、東京時事新報社に入社。 大倉喜八郎、藤田伝三郎の共同事業である日本土木会社(大成建設)に移り大倉組庶務課長を務めた。大倉喜八郎の秘書として実業界入り、のち林産商会に移って、1889林産商会能代支店長として初めて能代の地を踏む。 林産商会解散後、能代にとどまって、1897能代木材合資会社を創立して木材業に従事。次いで能代挽材合資会社を創立し機械製材を開始。1901(M34)に前二社の会社に加えて秋田製板合資会社を創立。 1907三社を合併して秋田木材株式会社を創立した。この間、全国主要都市に支店を開設し、販売の拡大を図る。さらに関連産業として電気、鉄工事業を興し、企業の拡大を図る。名実ともに東洋一の「秋木王国」を築いた。“木都の父”と評されている。享年60歳。

<秋田大百科事典>
<講談社日本人名大辞典など>


*墓石は和型「井坂家之墓」。墓誌があり、俗名、没年月日、行年が刻む。

*能代市御指南町に『井坂記念館』がある。井坂直幹の偉業を顕彰するため、直幹の遺品や能代の木材産業の歴史、砂防林の歴史などの資料を展示している。入場無料。


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