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いまむら りきさぶろう

今村力三郎

いまむら りきさぶろう

1866(慶応2)〜 1954(昭和29)

明治・大正・昭和期の弁護士

埋葬場所: 10区 1種 1側 14番

 判事の書生となり、夜学生として1886(M19)専修学校(専修大)に入学。88代言人試験に合格し首席で卒業。代言人(弁護士)となり、多くの民事・商事・刑事事件を扱い活躍。 とりわけ当時において世間を驚かした著名な難しい刑事事件の弁護を担当。 古いところでは、足尾銅山鉱毒事件(1900)・日露講和反対騒擾事件(いわゆる日比谷焼打事件、05)を始め、幸徳秋水らの大逆事件(10)・難波大助の虎の門事件(23)・京都学連事件(26)、5・15事件(32)・神兵隊事件(33)など。更に大阪松島遊郭移転事件・斎藤実(7-1-2-16)内閣を総辞職に追い込んだ帝人事件(34)などにかかわる。 弁護人としての基本的な姿勢は、捜査の行き過ぎを警戒、被告人の人権擁護に徹することであった。46(S21)〜54(S29)専修大総長。著書に「法廷五十年」(48)など。

<朝日人名辞典>


墓所 碑石

*息子の今村学郎は理学博士で同墓に眠る。墓誌碑有り。


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