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いけだ よしのり

池田慶徳

いけだ よしのり

1837(天保8)〜 1877(明治10)

幕末・維新期の大名

埋葬場所: 改葬→鳥取県大雲院
1区 1種 1側 3番

 水戸藩主徳川斉昭の5男。徳川慶喜の兄。
 1850(嘉永3)鳥取藩主池田慶栄の没後、後嗣ぎがなく、幕命により家督を相続。相模守に任ぜられ、藩主になるや藩政の改革、目安箱の設置、屯田の制を採用、各所に砲台を築くなど努めた。 63長州藩による討幕計画に反対していたが、長州の攘夷論に共感を示し、幕府から因備の暴論と批判された。68(M1)戊辰戦争で東北に出兵、新政府の議定となったが版籍奉還後、隠居した。

<コンサイス日本人名事典>


*墨田区弘福寺に埋葬されたが、昭和五年九月に改葬。

<徳川葵様より情報提供>


*後を継いだのは、池田慶徳の嫡子である池田輝知(同墓)であり、明治17年7月7日に侯爵を授爵した。 輝知は鍋島直正の娘の幸子と結婚するが子に恵まれなかったので、養嗣子として徳川慶喜5男の池田仲博(同墓)が継いだ。 仲博→徳真。

*鳥取藩主池田家の墓は、平成15年11月に鳥取県鳥取市立川町にある大雲院に移転改葬した。

<ネコッチ様より情報提供>


【鳥取池田侯爵家の改葬後に関してお知らせ(大雲院)】
 移転された墓碑は当初のままで、寺に入り20Mほど奥の左にあり、すぐにわかります。 以下、墓前にある案内板の説明文を抜粋し原文のまま記します。
 『16代当主池田百合子氏に後継者がなく、鳥取藩祖光仲以来続いた池田家を当代限りで終焉を決意され、鳥取への墓所移転を歴代藩主の奥谷墓地と菩提寺である興禅寺へ懇願されましたが、両所共に事情があり断念、藩祖光仲公建立の東照宮別当寺であった当院へ移転復元し』という内容でした。

<徳川葵様より情報提供>


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