歴史が眠る多磨霊園 |
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池田輝知 | |
いけだ てるとも | |
1852.12.21(嘉永4)〜 1890.4.20(明治23) | |
幕末・明治期の旧鳥取藩、侯爵 | |
埋葬場所: 改葬→鳥取県大雲院 1区 1種 1側 3番 | |
因幡鳥取藩主正四位侯爵贈従一位の鳥取藩知事従二位である池田慶徳(同墓)の嫡子。池田慶徳は江戸最後の将軍徳川慶喜の兄である。 幼名は三知麿。1877(M10)池田徳澄の義子隠居一件に坐し卑幼なるを以て罪を免ぜらる尋で従五位に叙した。 1884(M17)7月10日梅謙次郎・秋月左都夫・寺尾亨・前田孝階・桜井一久・河村譲三郎・富谷?太郎・河村善益・清水一郎・古賀廉造・松室致水・上長次郎等と司法省法学校を卒業した。後、交際官試補を命ぜられ正五位に陞る。 1888(M21)頃、奏任五等を以て無任所たり。病のため38歳で早死。没後、正四位に進めらる。 <明治過去帳0297頁> 夫人の幸子(同墓)は贈従一位の鍋島直正の娘。輝知没後、池田家を継いだのは養嗣子となった池田仲博(同墓)であり、徳川慶喜の五男である。 仲博の妻は輝知の二女の池田亨子(同墓)。仲博没後は長男の池田徳真(のりざね)(同墓)が継いだ。徳真は「日の丸アワー」などの著者として名が知られてる。 なお、仲博の長女、徳真の姉の幹子(もとこ)は、一橋家の伯爵である徳川宗敬の妻で、晩年に書かれた自伝「わたしはロビンソン・クルーソー」には、池田家と徳川家の関係などが詳しく書かれている。 他にも著作物を多く残した。 <日本の名門1000家など> *鳥取藩主池田家の墓は、平成15年11月に鳥取県鳥取市立川町にある大雲院に移転改葬した。 <ネコッチ様より情報提供> | |
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