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いいやま としはる

飯山敏春

いいやま としはる

1898.8.21(明治31)〜 1967.3.17(昭和42)

昭和期の地理学者

埋葬場所: 12区 1種 4側

 飛騨高山出身。父は鉄道技師の飯山敏雄(正5位 勲5等 1929.7.11 57歳没・同墓)・母はハマ(1965.5.4 84歳没・同墓)。
 五高を経て、1925(T14)東京帝国大学地質学科を卒業。地質学教室で研究に従事した後、'31(S6)大学院に入った。その後、日大予科、六高、白百合女子短大、富山大学、富山女子短大などで教鞭をとる。 その間、'44〜'48地質調査所で技術員養成所主任、測図課長として活躍。また、50万分の1編纂図作成の準備もあたられた。
 石井逸太郎の後任として富山大学教授となる。富山地学会会長、県文化財委員、温泉審議会委員を兼ね、富山県の地理学的研究、地域振興にも努めた。 著書に、'48『水の科学』(白井俊明と共著)、'60『北信越地方』などがある。'64退官。多くの教え子を輩出し、教え子たちは富山県地理学研究グループを『扇状地同人』をつくって、雑誌「地理」などに研究を発表している。
 正4位 勲4等。心筋梗塞のため富山市民病院にて逝去。享年68歳。没後に『飯山敏春先生追悼文集』がでている。妻は飯山利他(1993.6.11 94・同墓)、息子の飯山敏道(同墓)は地球科学者、岩石学者である。

<「悼 飯山敏春君」藤井昭二 など>


 


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