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いいじま そうは

飯島総葉

いいじま そうは

1893.4.28(明治26)〜 1982.2.3(昭和57)

大正・昭和期の古筆研究家

埋葬場所: 3区 2種 4側

 東京出身。本名は飯島實。1911(T1)9月国学院大学予科に入学。 同学在学中より先輩の羽田春埜に耆宿(キショク)し、書道研究に志す協力をして古筆研究を趣旨とする「わかば会」を創設した。 '15同大学国文科卒。'17より山階宮家王子保育官として勤務。'29(S4)臣籍降下した葛城茂麿(16-1-5-9)伯爵家執事に就任、同家創立の事業を完遂。 戦後、日本書道美術院審査員、毎日書道展審査員を経て委嘱作家、かな作家協会々員、跡見 学園女子大学教授を歴任。


墓所

*墓石は和型「宮島家之墓」。左面に没年月日と俗名が刻むが、左側に墓誌がある。墓誌は総葉の父で宮国幣社宮司を歴任した従5位 勲6等の飯島誠から始まる。 誠・香子の初児の武雄は1歳で亡くなる。長男の清は海軍兵学校生徒時に17歳で亡くなる。よって次男であった實(総葉)が飯島家を継ぐ。三男の修は内閣印刷局職員を務めていたが37歳で亡くなる。 墓誌には「飯島實『号 總葉』(誠二男)日本書道美術院審査員、毎日書道展委嘱作家、跡見学園女子大学教授、昭和五十七年一月三日没 享年八十九才」と刻む。総葉の妻は佐美。長女の佳子は5歳で亡くなる。長男の飯島暢夫は三菱商事参与と刻む。


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