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いちきざき ひでまる

市来崎秀丸

いちきざき ひでまる

1910(明治43)〜 2001.4.10(平成13)

昭和期の海軍軍人(中佐)、海上自衛隊(海将)

埋葬場所: 24区 1種 31側

 東京出身。父は日露戦争に従軍し活躍した海軍少将の市来崎慶一(同墓)。
 1930.11.18(S5)海軍兵学校卒業(58期)。大尉の時に支那方面艦隊の最後任幕僚(暗号担当)の任にあたり、太平洋戦争中の少佐、中佐の時は連合艦隊通信参謀を務め、終戦を迎えた。
 '54海上自衛隊に入隊。海上自衛隊第一術科学校長などを務めた。最終階級は海将。『軍艦「松島」の若き士官がつづった黄海海戦と日本海海戦の記録…「父、市来崎慶一の日露戦争従軍日記」より (〔日露戦争〕戦勝百年記念 日本海海戦と明治人の気概) -- (従軍日記特集)』を執筆した。脳梗塞のため横浜の病院で逝去。享年91歳。

<日本海軍将官総覧など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石前面は「市夾崎家」。


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