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いば たくま

伊庭琢磨

いば たくま

1884(明治17)〜 1956.11.21(昭和31)

大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 13区 1種 5側

≪詳しい略歴は調査中。詳細をご存知の方はご一報ください≫

 滋賀県出身。住友総理事・別子銅山中興の祖と称された伊庭貞剛(25-1-2)の三男。弟(四男)の伊庭慎吉は画家・安土村長を務めた。弟(五男)の伊庭勝彌(25-1-2)は住友本家支配人、住友総理事を務めた。1908(M41)慶應大学政治科卒業。
 1934(S9)特種硝子光機株式会社(資本金五十万円)を、前身である今泉信四郎が経営する特種ガラス製造所を株式化し、今泉を取締役社長、琢磨は専務取締役として創立した。後に同社社長。
 前身より(開業は'23)陸海軍指定工場('27)として斯業唯一の専業工場で飛行機、自動車製造の軍需会社に納入しており、舶来品防遏を嘱望していた。主に安全ガラス及び光機光学(双眼鏡)の製造であるが、各種安全硝子、防弾硝子、硬化硝子、各種レンズ、航空眼鏡、自動車用フロントグラス、自動車用サンシェード、自動車用各種鏡などが製造された。陸軍や海軍、三菱重工業、自動車工業、石川島飛行機製作所など代表的各会社に納入し絶讚を博した理由は、自動車事故による硝子の破片での障害を防ぐために取り組んだ開発から、銃丸も貫通せぬ防弾硝子の完成によるものである。
 琢磨の妻のふさ(総子 1901-1982.11.9) は、帝国鉄道庁総裁・鉄道院副総裁・貴族院議員を務めた平井晴二郎の二女。


*墓石は和型「伊庭家之墓」。左面が墓誌となっており、戒名は徳光院大道無門居士。裏面は「昭和十年四月 伊庭琢磨 建之」と刻む。

*伊庭家の代々墓所は滋賀県近江八幡市西宿町(新幹線と国道8号線との間の田んぼの真ん中の森の中)にあり、伊庭貞剛と梅子の墓も建つ。多磨霊園にある伊庭貞剛の五男である伊庭勝彌の墓誌に伊庭貞剛の名も刻む。


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