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あわや ますじろう

粟谷益二郎

あわや ますじろう

1890.11.11(明治23)〜 1957.9.18(昭和32)

明治・大正・昭和期の能楽師

埋葬場所: 25区 1種 85側

 広島県出身。粟谷家は広島浅野家のお抱えの家柄。祖父の粟谷新三郎に能楽の指導を受け、1898(M31)8歳の時に「花月」で初舞台。 1901上京、'02喜多流14代の喜多六平太の内弟子第1期生となり、'03「舎利」で初のシテ方を務めた。
 '17(T6)喜多流シテ方として独立。'41(S16)病気で一時舞台を退いたが、'46再起。張りのある美声で六平太の能の地頭をつとめ、地頭の名手といわれる。 流儀の重鎮として活躍した。「烏頭(うとう)」のシテを演能中に急逝。享年66歳。
 妻は浅野家の家老の家である小鷹狩家の四女の末(スエ・末子)。子は全員家芸を継承した能楽師。 長男は粟谷新太郎(同墓)、二男は人間国宝の粟谷菊生、三男は粟谷辰三、四男は粟谷幸雄。 なお、妻の兄である明の娘は歌手のペギー葉山。孫に能楽師を継いでいる粟谷能夫、粟谷明生らがいる。

<日本芸能人名事典>
<音楽家人名事典>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は和型「粟谷家之墓」。右側に墓誌があり、戒名は順徳院益山玄道居士。 妻の末は墓誌には粟谷スエと刻む。なお、二男の粟谷菊生の名は刻まれていない。


粟谷菊生 あわや きくお
 1922.10.31(大正11)〜2006.10.11(平成18)
 東京出身。粟谷益二郎の二男。父および14世の喜多六平太、15世の喜多実、友枝喜久夫に師事。 初舞台は6歳の時の「鞍馬天狗」の花見の稚児。羽衣・安宅・景清など幅広い芸域には定評があり、兄の新太郎とともに喜多流を支えた。 日本芸術院賞受賞など多くの賞を受賞。日本能楽会会員、日本芸術院会員、1996人間国宝(重要無形文化財各個指定保持者)。享年83歳。 追贈正5位、旭日中綬章。戒名は玄能院妙謡菊生居士。子に粟谷明生。


粟谷辰三 あわや たつぞう
 1928.1.19(昭和3)〜ご健在
 東京出身。粟谷益二郎の三男。父および14世の喜多六平太、15世の喜多実、友枝喜久夫に師事。1975(S50)日本能楽会会員。


粟谷幸雄 あわや ゆきお
 1932.5.31(昭和7)〜ご健在
 東京出身。粟谷益二郎の四男。父および15世の喜多実に師事。初舞台は「鞍馬天狗」子方花見。初シテは「敦盛」。 1960(S35)福岡へ喜多流発展のため派遣独立。幸扇会を設立。1975(S50)重要無形文化財総合指定を受け、日本能楽会会員。 福岡能楽協議会会長、福岡文化賞受賞。


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