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あさだ ともさだ

浅田知定

あさだ ともさだ

1862(文久2)〜 1926.10.16(大正15)

明治・大正期の台湾糖務局官僚、実業家

埋葬場所: 3区 1種 25側 1番

 福岡県出身。1887(M20)東京帝国大学法科大学卒業後、内務省にはいり、台湾総督府で製糖事業の改善、発展につとめる。 1907(M40)退官し、東洋製糖の創立者のひとりとして専務、のち新高製糖の取締役。 両社とものち大日本製糖に吸収合併された。享年65歳。

<日本人名大辞典>
<五輪塔様より情報提供>


墓所1

*墓石は和型「淺田知定 / 妻 志保  墓」。右側に洋型の「浅田家」墓石と、「浅田家先祖供養塔」が建つ。墓石の裏面に戒名と没年月日が刻む。戒名は安禅院正念知定居士。

墓所2

*浅田知定と志保の長男は外交官の浅田俊介(同墓)。浅田俊介と澄子の長男で浅田知定の孫は地震学者の浅田敏(同墓)。同墓には浅田敏の妻の照子と、長男の孝も眠る。


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