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あるが たかお

有賀隆雄

あるが たかお

1914.7.3(大正3)〜 1996.9.23(平成8)

昭和期の実業家

埋葬場所: 9区 1種 1側 1番

 長野県出身。大蔵官僚・貴族院議員・実業家を務めた有賀光豊(同墓)の三男。
 1938(S13)九州大学採鉱科卒業。'43朝鮮中央鉱業、'44宝光鉱業各取締役を歴任。 高周波重工業の技術をヒントにして、'46高周波熱錬(現・ネンレツ)を設立、'51社長に就任。 '52発明協会賞、'53関東電波監理局長賞を受賞した。'85代表会長。享年82歳。

<物故者事典>


【有賀隆雄の兄弟】
 隆雄には七男三女の兄弟がいる。長男は生まれて間もなく没す。姉・長女の美佐子はエンジニアの田邉多聞に嫁した。今回の情報は田邉多聞・美佐子のご子息、田邉康雄氏より頂戴した。
 兄・次男の有賀光則は父の光豊の起こした高周波重工業株式会社を引き継いで日本高周波鋼業株式会社社長となった。姉・次女の夏子は商工官僚の猪熊信二に嫁した。 信二は戦時中の物資動員の全てを扱う岸信介商工大臣(後の首相)の下で統制課長の激務を勤め、そのため健康を害して戦後まもなく他界した。
 妹・三女の静子は日本興業銀行員の金子氏に嫁した。金子氏も戦時中の激務のため健康を害して戦後まもなく他界した。その後、静子は有賀一則と再婚した。
 弟・四男の有賀敏彦は新日本製鉄の韓国哺項製鉄所(ポスコ)協力プロジェクトを統括指揮して、その功績により韓国朴大統領から勲章を授かった。その後、日本プレスコンクリート株式会社(ジオスター)の社長となった。
 弟・五男の有賀澄男は慶応大学経済学部の在学中に神風特攻隊を志願して鹿屋飛行場から出撃命令を受けて飛行場に整列した。しかし急遽出撃中止命令が出て翌日が敗戦だった。 戦後警察予備隊から自衛隊に入隊し国の防衛に一生を捧げた。著書に『日本海軍神風特別攻撃隊隊員の記録』(零戦搭乗員会編纂)がある。
 弟・六男の有賀守之は安田信託銀行員。
 弟・七男の有賀正弘は本州製紙株式会社勤務。学習院高等科から東大に進みテニスで名を馳せた。平成の今上陛下が皇太子であらせられた際、美智子妃殿下、現皇太子、秋篠の宮のテニスのお相手として東宮御所に何度か参上した。その時の写真を正弘の遺族が保管している。
 有賀光豊の子孫で有賀姓を名乗るものは全て多摩霊園の有賀光豊の墓に埋葬されている。

<有賀光豊孫・美佐子のご子息、田邉康雄氏より情報提供>



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