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あんどう きょうしろう

安藤狂四郎

あんどう きょうしろう

1893.3.8(明治26)〜 1982.2.14(昭和57)

大正・昭和期の内務官僚、県知事

埋葬場所: 21区 1種 5側

 大分出身。大地主の安藤勝市の四男。京都帝国大学卒業。内務省に入り、'28(S3)平塚広義東京府知事の知事官房主事。 翌年、岩手県書記官・岩手県警察部長。同年、内務事務官。'30警務官。'31内務省警保局高等課長、内務省大臣官房文書課長、東京府書記官、東京府学務部長を歴任。 '32静岡県内務部長、'34東京府内務部長を経て、'35茨城県知事、ついで'37三重県知事に就任した。
 '39警察部門を所管していた内務省警保局長や内務省土木局長を経て、平沼騏一郎(10-1-1-15)内閣時に、'41.1S16)第27代京都府知事となる。 当時は日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に突入、府長の組織も戦時色が濃く、財源も戦時経済で厳しい時期であったが、農業生産力の強化、転廃業者の救済に取り組み、由良川改修事業で大蔵省との折衝に努力し、着工にこぎ着けている。 他に、兵庫厚生課、資源回収課を新設するなど戦時体制の確立につとめた。また、'43京都体育協会・大日本体育会京都府支部の併合に伴い、会長・支部長に就任。 同年7月に依願免本官。在任期間2年6ヵ月。'44.7〜'45.6大政翼賛会事務総長。戦後'46.10公職追放。'51.9解除後、大丸顧問、東九州自動車社長などを務めた。享年88歳。
 妻は陸軍中将の林弥三吉の娘。娘は会計検査院長の白石正雄に嫁す。

<歴代京都府知事>
<現代日本人名録 物故者編など>
<森光俊様より情報提供>


 


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