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あまの しゅういち

天野修一

あまの しゅういち

1890.6.15(明治23)〜 1976.12.1(昭和51)

大正・昭和期の発明家(タイムレコーダー)

埋葬場所: 19区 1種 13側

 三重県鈴鹿郡石薬師村出身。1911(T1)23才の時、初めての特許「A式綴紙器」を発明。これは前年に日本初のホッチキス発明者の垣内清八の「自動紙綴器」に次ぐ発明であった。なお、ホッチキスの歴史は、機関銃を発明したベンジャミン・B・ホッチキスがマシンガンの弾送り機構にヒントを得てホッチキスの針送り装置を考案したのがはじめりで、弟のエーライ・H・ホッチキスがE・H・ホッチキス社を興した。「自動紙綴器」はかなり大型だが、「A式綴紙器」はホッチキス社製のものに近い発明であったという。
 '31.11.3(S6)日本初の電気式時刻記録機(タイムレコーダー)と気象用計器の製造を目的として、東京蒲田に天野製作所を創立。翌年、商工省より国産品推奨、輸入防止の国策に合致するとしてタイムレコーダー製作を奨励され、'35国産奨励精密機械器具展覧会にタイムレコーダーを出品。この間、時刻記録機(タイムレコーダー)、2色リボン付時刻記録機、時報装置付タイムレコーダー、雷道計などを開発。'39株式会社とし、私立天野青年学校開設した。'42海軍管理工場に指定され、本社を横浜に移転。発明した時間印字機はワーレンモーターを利用した電気で作動する方式で、最初の電気式タイムレコーダーであり、軍事色強まる国内で重宝された。しかし、敗戦にて工場閉鎖。'49企業再建整備法により?天野製作所解散の方針が決定された。
 だが、すぐに天野はタイムレコーダーの生産再開を目的として、横浜機器株式会社創立し、翌年から国鉄にタイムレコーダー納入をはじめた。その後も開発を続け、リクレス(ドレーン分離器)、アマーク(稼動時間計)、タイムレコーダーNRを製造。'59アマノタイムスタンプSB型は毎日工業デザイン賞入選した。'64ニューヨークに現地法人アマノ・タイムシステムズ(ATS)社設立するなど、世界進出もはじまり、“タイムレコーダーといえばアマノ”と、その名が広まりブランドとなった。そこで、国際的に通用する社名にする必要性と、海外ではアルファベットの頭文字『A』で始まる言葉が喜ばれるという理由から、ブランドと社名を一致させ、'66アマノ株式会社に社名変更した。その後、タイム情報システム事業の元となる新商品アレコデータをはじめ、'80世界初のマイコン搭載時間集計タイムレコーダー(インテレコーダーIR9000シリーズ)の発表をするなど、インテリジェントタイムレコーダーの幕明けの先陣を切り、企業は発展した。
 '59紫綬褒章受賞。'61横浜文化賞受賞。'65勲三等瑞宝章。晩年は、私財を投じて財団法人『天野工業技術研究所』を設立。著書に、'63自伝『鈍根運』がある。享年86歳。戒名は金剛院殿修学徹心大居士。子の天野和夫(同墓)は法哲学者。没後、'77功績を記念してアマノ株式会社本社敷地内に天野記念館が設立された。'95(H7)館内がリニューアルされ、1階が「天野修一メモリアルホール」、2階が「タイムレコーダー資料館」としてオープンした。

<タイムレコーダー資料館案内パンフレットなど>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓石前面「天野家」、裏面「1976年10月 天野修一 建之」と刻む。左側に墓誌が建つ。修一の戒名は金剛院殿修学徹心大居士。和夫の戒名は憲樹院釋和敬。


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