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あきもと きしち

秋本喜七

あきもと きしち

1861(文久1)〜 1930.5.31(昭和5)

明治・大正期の政治家

埋葬場所: 6区 1種 13側 10番

 東京都出身。衆議院議員選挙に東京府第16区選出。立憲政友会に属する。 以後、当選3回。また村会議員、村助役、村長、郡及び農会議員、郡会議員、同参事会員、東京府会議員、同郡部会議長、同参事会員、徴兵参事員、普通水利組合議員、警視庁防疫評議員、帝国農会議員、府農会副会長など歴任する。 また武相甲信運輸組合長、東京府農工銀行監査役、田無銀行頭取、玉川水道(株)監査役、南洋製糖(株)取締役となる。
 1889(M22)4.11甲武鉄道会社(前国鉄、現JR)が新宿・立川間を開業。開業時の駅は新宿、中野、境(現武蔵境)、国分寺、立川であり、27.2キロの直線。 当時、甲州街道や青梅街道に沿う町村いずれも鉄道が開通すると宿場の客が減るという短見から反対運動で混乱していたが、ひろい武蔵野に直線コースなら鉄道も容易という考えで現在の中央線の路線が誕生した。 その際、秋本は秋本家の畑地に境駅を開設させ、北隣の保谷・田無に直通する道路を新設し、玉川上水に桜橋をかけ、南隣の深大寺や天文台へ道路を整備するなどの尽力をした。 なお、境駅(現武蔵境駅)から西武多摩川線に乗り換えて二駅目の多磨駅(旧多磨墓地前駅)下車で多磨霊園に行けます。

<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<多摩の人物史>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*墓所には二基の和型墓石。左側が「秋本家之墓」、右側が「従五位勲四等 秋本喜七 / 室 琴子」と刻む。左面に妻の戒名、右面に喜七の戒名が刻み、戒名は遍照院殿深恵大融清居士。右側に墓誌がある。

*弟の秋本録之助は武蔵野村長・町長を務めた。長男の秋本敏男(同墓)は録之助の後を継いで、2代目武蔵野町長を務めた。

*秋本喜七が甲武鉄道(現在の中央線)開業に尽力していた時の武蔵野村は神奈川県に編入されており、住所は神奈川県北多摩郡武蔵野村であった。 1893(M26)東京府の管下に入り、住所が東京府北多摩郡武蔵野村となった。弟の秋本録之助が村長を務めていた時に、1928(S3)町制施行となり、武蔵野町となる。 録之助は初代町長。長男の敏男が2代目 武蔵野町長。戦後、1947.11.3(S22)市制施行で武蔵野市となる。荒井源吉が初代市長。


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