東京出身。父は陸上選手やゴルファーとして活躍する傍ら明石製作所を創業した実業家の明石和衞、久(共に同墓)の二男として生まれる。長男の和久(同墓)は2才で早死。
1942(S17)東京帝国大学地球物理学科卒業。'55 ねじ転造盤で大河内記念技術賞を受賞。'56 父の急逝に伴い、明石製作所の2代目 代表取締役社長に就任。また小金井製作所の社長も兼ねた。'58 「顕微鏡・マイクロメーター付ナイフエッジ」の米国特許取得。同年、開発した明石走査型電子顕微鏡などをフィラデルフィアの米国電子顕微鏡学会や、ベルリンでの国際電子顕微鏡学会に出品、各界の賞賛を博す。
半導体専用インライン測長機などを開発。'61 科学技術功労者として表彰される。'62 工学博士。'63 古屋恒助専務を小金井製作所の社長代行を命ずる。'67 小金井製作所の社長を退き取締役会長になる。代行を務めていた古屋恒助が正式に社長に就任。'71 小金井製作所の会長を退任。他に日本試験機工業会会長などを歴任した。
'74 地震観測・振動試験の総合エンジニアリングの株式会社明豊エンジニアリング、回転体のバランス測定・修正のエンジニアリングの明旺技研株式会社をそれぞれ設立し社長に就任。'75.5 硬度計の保守サービスの株式会社明和エンジニアリングを設立し社長に就任。同.10 紫綬褒章受章。'76.5 神奈川県横浜市に精密設計を専業とする株式会社明石設計事務所を設立し社長に就任。'77.4 大韓民国慶尚南道馬山市に電子顕微鏡の製造を目的とした株式会社韓国ISIを設立し社長に就任するなど、明石製作所の傘下のグループ会社の社長も兼ねた。また'78.2 東京都八王子市に明石グループの一員として周辺機器の企画開発を主業務とする株式会社国際精工を設立。'87 東芝と明石と共同出資で電子顕微鏡の開発設計を行う明石ビームテクノロジーを設立した。
明石製作所は日本の計測機器、試験機、電子顕微鏡メーカーとして業界をけん引していたが、バブル崩壊と円高不況以来、業績が伸び悩んでいた。そんな折、逝去。享年69歳。明石製作所は明石和彦が亡くなったことを機に事業の継続を断念、1990(H2)会社清算され、明石製作所は74年の歴史に幕を閉じた。計測機器・試験機事業は株式会社アカシに引き継がれ「ミツトヨ」の子会社となり、電子顕微鏡事業は東芝グループの傘下となった。明石ビームなどは解散した。