メイン » » » 赤木萬二郎
あかぎ まんじろう

赤木萬二郎

あかぎ まんじろう

〜 

明治・大正・昭和期の教育者

埋葬場所: 8区 2種 23側 1番

 岡山県出身。1891(M24)高等師範学校文学科を卒業し、福井県尋常師範学校の教諭として着任。訓導を兼ね、小学校教員検定委員などを務めた。 1894舎監も兼職し、かつ高等女学校教諭をも務めた。高等小学校1年生用『福井県史談』を編纂(1894)し発行。同著の教師用は300頁の大著であった。1896福井師範を離れる。帝国教育会会員。
 1902(M35)4月に設置されたばかりの広島高等師範学校に、7月、教授として着任した。人事を含む庶務と会計を担当する庶務課長を務める(当時は課長は教授を充てていた)。評議会の評議員や幹事も務め、広島高師の学校運営に尽力。'16(T5)退職。
 朝鮮に渡り、平壌中学校校長を務める。'21斎藤實(7-1-2-16)朝鮮総督が京城師範学校創立に際し、平壌で教育成果を上げていた赤木を知り、京城師範学校初代学校長(1921-1930)に抜擢され就任した。朝鮮初等教育研究会会長も務めた。

<大日本教育会・帝国教育会広島県会員ファイル>


 


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。