無縁墓地(5区)



多磨霊園の無縁墓地

【多磨霊園の無縁墓地】
 正式名称は無縁合祠墓所という。5区の一角、大廻り線と東西線の交差するかたわら、大廻り線に面して七基の大きな墳墓が無縁墓地である。 1874(M7)に開設された古い市墓地であった亀戸、橋場の両墓地を、整理廃止したときに出た無縁仏を多磨霊園に移したものと、青山墓地の無縁仏を多磨霊園の17区に、一ヶ所1.5平方メートルあたりの小さな墓地をつくり、これを並列に埋葬してあったものを、改めてここに埋葬したものである。 また、東京市養育院が建設したものは、同院で死亡した引き取り手のない遺骨を埋葬したものであり、現在でも秋の彼岸に、その年に亡くなった者の遺骨の墓前祭を行なって埋葬している。


《多磨霊園合祠墓所一覧》 *道を背にして左側から
埋葬物建設年月体数墓所面積(m2)
1東京市行路病者(納骨堂より)昭和18年50077.13
2青山墓地無縁昭和10年3月1,47396.55
3東京市(都)養育院死亡者昭和5年3月約40,00055.91
4亀戸墓地無縁昭和4年7月30440.87
5板場墓地無縁昭和2年3月9,98367.41
6多磨既設合葬地(17区より)昭和14年9月約8,00040.89
7多磨霊園無縁昭和36年3月約3,50066.34


*青山霊園の無縁墓地は「青山墓地無縁」と「多磨既設合葬地」の二ヶ所ある。 「多磨既設合葬地」は昭和14年以前は17区に存在していたことより、「青山墓地無縁」よりも以前の無縁仏であることが推測できる。 一方「青山墓地無縁」が建設された昭和10年頃は、青山墓地の区画整理が行なわれた時期に該当し、青山墓地縮小のために多くの墓所が多磨霊園に改葬されているため、「多磨既設合葬地」以後、青山霊園から出た無縁仏である。

*上記の「多磨霊園合祠墓所一覧」は村越知世氏が執筆した『多磨霊園』を引用させていただきました。なお、平成13年に再改訂したものの引用のため、場所によっては現在の体数が増えている箇所もあること、ご承知おきください。



無縁墓地(*道を背にして左側から)
東京市行路病者(左から1番目)
倶會一家「倶會一家」

裏:「薄倖ナル市内行旅死亡者ノ遺骨ハ當墓地 納骨堂ニ安置シ來リシモ時經タルヲ以テ 此ノ霊域ヲ設ケ埋葬ス 昭和十八年 月  東京市」


青山墓地無縁(左から2番目)
寂滅為楽「寂滅為楽」

右:「青山墓地に明治十五年より昭和九年に至る迄公葬せられし薄幸なる諸霊を改葬の為此の塋域を築く 昭和十年三月建之」

左は刻み無し
慰霊「慰霊」

表:「岩佐眉山書 進藤鑾齋刻」
裏:「大正二年十一月 建之」

左側、青山墓地無縁に向けられて石碑が建ち、その裏に墓石が建つ。碑石、墓石共に詳細は不明。青山墓地無縁との関わりはなく個々に建つ。

*:「鑾」の字は「鑾」+「亠(なべぶた)」の一文字。


東京市養育院合葬冢(左から3番目)
東京市養育院合葬冢「歸入無為楽」

右:「東京市養育院合葬冢」

左:「昭和五年三月 成」

裏には五基の合葬冢がある。
東京市養育院合葬冢:説明の看板左手前に「養育院合葬冢」の説明がある。

養育院合葬冢 ―全文―
(クリックで表示、GIFイメージ)


亀戸墓地無縁(左から4番目)
倶會一處「倶會一處」

右:「公葬塋域 昭和四年七月 成」

左:「東京市公葬地内に埋葬せられし薄倖なる諸霊を更めて此の所に合葬す」
倶會一處:近景 


板場墓地無縁(左から5番目)
改葬公葬地元橋場墓地為右:「改葬 公葬地 元橋場墓地 為」

左:「昭和二年三月 建造之」
改葬公葬地元橋場墓地為:近景改葬公葬地元橋場墓地為:表題


多磨既設合葬地(17区より)(左から6番目)
倶會一需「倶會一需」

裏:「青山墓地にて無縁と認められし墳墓を昭和十一年十二月此の塋域に改葬す 東京市」

裏:「祈無縁諸主冥福 増島工 ○○主* 増島金太郎寄進 昭和十四年九月廿日 建之」
*:○○漢字表記できず、佐行主?)
裏側裏側の外柵(境界石)には墓石が使われている。
裏側:足元墓石は小型のコンクリート製。
名前が彫られていることが確認できる。


多磨霊園無縁(左から7番目、一番右)
多磨霊園諸精霊「多磨霊園諸精霊」

右に地蔵があり季節により付属物が変わることから大切に扱われていることがわかる。
地蔵:夏 地蔵:冬




| メイン | 霊園の各スポット | 番地マップ |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。
  <