大切な秘密

 

「おい、ケロロ。夏美を知らんか」
 その日の午後、ギロロは自室でガンプラを作っているケロロに声をかけた。
 ドムのパーツと格闘していたケロロは、ニッパーをぱちぱちさせていたが、やがてゆっくりとギロロの方を振り向いた。
「なあに?ギロロ君。……夏美殿になにか用?」
「いや、別に用があるというわけではないのだが。さっきから姿を見ないものだから、今日は休日だというのに変だなと思ってな……」
「どっかでかけたんじゃね?冬樹殿も図書館にいったようだし」
「日向家の玄関の出入りがあれば普通俺が気付く。しかし夏美が出かけて行った様子はなかったぞ……?」
 ギロロが腕を組んで首を傾げると、
「なあにギロロ君、もしかして君ってば我輩のこと疑ってる?我輩は別に何もしてないでありますよ?なのに上官の我輩を疑ってる!?」
「は?……俺は貴様を疑っているなどと、一言もいっていないのだが……」
 ギロロが不審そうにケロロを見ると、ケロロははっとして口を両手で覆う。
「貴様、……もしかして夏美になにかしたのか?」
「いや、我輩何もしてない、何もしてないでありますよ!なっなのにどうしてそんな疑いの目で見るのっ?
キィアーやめてッギロロ君……!」



 数十分後。
「……で。これはいったいどういうことなんだ!」
 地下秘密基地内クルルズラボで、ギロロはケロロの胸倉を思いっきりつかんだ。
「どういうことって見ればわかるでしょ!夏美殿を丑にしたんであります」
 半ばやけくそ気味にケロロがいう。
「だって、夏美殿ってばギロロが丑になった時、ギロロのことは助けにきてくれたのに、我輩のことは助けにきてくれなかったんだもん。おかげで我輩元に戻るのにどんなに苦労したことか!だから我輩、夏美殿を同じ目に合わせてやらなければ、気がすまなかったんでありますよ!」
「……そんなの貴様のただの逆恨みだろうが!」
 ギロロはケロロを床に放り投げると、椅子に座っているクルルの横に立つ。そして改めてモニタを食い入るように見上げた。
「しかしこれは本当にどういうことなのだ……」
 モニタには地下秘密基地の一室にいる、一頭の牛の姿が映し出されていた。
大人になりきれていない雌牛は、気持ち良さそうに眠りをむさぼっている。
「夏美は先ほどからこの状態なのか?」
 ギロロがクルルに尋ねると、クルルはモニタを見たまま頷いて、
「ああ。ギロロ先輩が丑になった時とは非常に対照的ですぜぇ。あまりにおとなしいんで、ラビリンスに閉じ込めなくても済んでいる状態だ」
 するとギロロは首をひねる。
「それはおかしいな。いつもの夏美だったら、こんなことをされたら速攻で怒りだしそうなものなのに」
「もしかすると日向夏美は、自分が牛になったことに満足しているのかも知れないねぇ。クックックッ」
「なんだと?」
 ギロロが目を丸くすると、
「あの開発中だった( )専用変身銃……。人に撃つとメンタルに化学反応を起こすっぽいからねぇ。ほら、ギロロ先輩が銃撃たれて牛化した時、ポコペンを侵略したい気持ちが暴走しただろ?それと同じで、日向夏美のあれは、日向夏美が無意識のうちに思っていたことが具現化された姿なんじゃねぇかと……」
「ぬぅ……」
 それをきいたギロロは眉間にしわをよせていたが、
「しかしまあ、今の夏美の姿が夏美にふさわしくないものであることは間違いないな。クルル、解除銃を貸せ。俺がこれからあの女を元に戻してきてやる」
「ちょい待ち、先輩」
 するとクルルがうずまきメガネをひらめかせていった。
「俺様、せっかく気持ちよく寝ている日向夏美を起こすのはどうかと思うね。そのまま放っておいた方が日向夏美にとっては幸せなんじゃねぇのかい?」
 ギロロは少しの間黙っていたが、
  「だからといって放置しておくわけにもいくまい。夏美には学校もあるんだからな」
 ギロロはクルルから解除銃を受け取ると、クルルズラボを後にした。



 夏美はとろとろと眠りに落ちていた。
 罠だと知らずに秘密基地に呼び出された夏美は、ケロロに不意打ちを食らい、全身に光線を撃たれた。怒ろうと思ったが、たちまち怒る気がなくなった。
 体中がずしんと鉛を乗せたように重くなり、歩くのもおぼつかなくなった。四つん這いでないと歩けないことに気がついたのはすぐのこと。
<やぁい、やぁい、夏美殿を牛化してやったぜー!ざまみろー!……って夏美殿?>
(もうボケガエルのことなんてどうでもいい。……眠い)
 その場にうずくまってから、もうどのくらいの時が過ぎただろう。
 夏美のやる気はなかなか起きなかった。目を覚ます気にもならなかった。
(モー、何もかもが億劫でメンドウくさい……)
<……ね、夏美。丑年に生まれた人ってね、知ってる?牛に似て行動がのろくてでなまけものの人がけっこう多いらしいよ?迷信だとは思うけどね>
 友達の五月か弥生だったかが、そんなことを学校で話していたのを思い出す。
(じゃあ、本物の牛さんになっちゃったあたしは、本物ののろまでなまけものになっちゃったってわけね……。どうりで何もやる気が起こらないわけだわ……)
 毎日学校へ通うことも。部活動の助っ人にいくことも。ママの代わりに家事をこなすことも。そして地球を侵略者から守ることも。
(そっか。牛さんになっちゃったらもう何もやらなくていいのね……)
 最近の自分はそれらを完ぺきにこなして、とても疲れていたことに夏美は気付く。だから自分はこんなに眠いんだ……。でもこれからはずっと寝てればいいのだ。牛さんみたいに。そしてお腹がすいたらご飯食べて、気がむいた時だけ散歩してればいい。なんという自堕落な生活……。
(これこそが、あたしが一番望んでいた生活なんだわ、きっと)
 夏美が夢の中でうつらうつらとそんなことを考え、再び深い眠りに落ちようとしたその時のことだった。
 ぼんっ!!
 小さな爆発音が聞こえて、牛夏美は反射的に目を覚ます。目をぱちくりさせて顔を上げると、赤いダルマにも似たカエルが部屋にいるのが視界に入ってきた。
「念のために部屋についていた監視カメラは破壊しておいた。ケロロとクルルがここを見ているからな」
 ギロロはそういうと、持っていたビームライフルを転送させ、別な銃……解除銃に持ちかえる。そして足音をピコピコ立てながら、牛夏美に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。
「待ってろ、夏美。今、元に戻してやるからな」
「嫌!」
 牛夏美は重い体を起こすと後ずさりを始める。ギロロがびっくりして立ち止ると、牛夏美は続けた。
「あたしは今、牛さんなんだもん。夏美なんていう名前じゃない!夏美はもう疲れたの。だから牛さんのままでいるの!だから邪魔しないでよ、赤ダルマ!」
「赤ダル……!」
 ギロロは夏美が自分の名前を呼ばなかったことに、絶句した。



「そうか、夏美は牛化して俺の記憶を失ってるのか……」
 やがて発育途上の雌牛を見上げたまま、ギロロはそうつぶやいた。
「しかし疲れたとは、実に貴様らしくない。俺は貴様の口からそんな弱音ききたくなかったな」
「……だって疲れたものは疲れたんだもん。もうだるい、眠いよお……。お願いだからあたしを寝かせておいてよ……」
 後ずさり過ぎて、牛夏美のお尻が部屋の壁にぶつかる。逃げ場を失った牛夏美は途方にくれた。
「フン。これが夏美の本能が具現化した姿か。貴様にもなまけ癖があったのだな……。しかし甘やかすわけにはいかんぞ。今の貴様は俺の知っている貴様ではないのだからな」
「あたしのことは放っておいてよ……!アンタにあたしの自由を侵害する権利なんてないじゃない!」
 するとギロロは牛夏美に近づき、なだめるようにその首をやさしくなでた。牛夏美がびくっとしてしっぽを震わせると、
「確かに俺には権利はないな。しかし貴様には、こないだ俺が牛化した時に、元に戻してもらった借りがある。だから今ここで貸し借りはチャラにさせてもらうぞ」
「あたしがこんなに嫌だっていってるのに?このままでいた方があたしは一番幸せなのに?」
「ああ。今のお前はただの牛だ。本来あるべき姿に戻すのは当然のことだろう?」
「でも人間に戻ったら、また自分でご飯作らなきゃいけないんだよ。ママの代わりに家事やって、ママの代わりに弟の面倒見て、ママの代わりにおうちを守んなきゃいけない。あたしもうそんな生活嫌なの!普通の女の子みたいに放課後は部活したり、友達と恋のお話したり、外でいっぱい遊んだりして、夕ご飯はママに作ってもらいたい!……それができないなら、あたし牛のままでいい。あたしはママにそばにいてほしいんだよぉ!」
「……そうか。要するにお前は母親が恋しかったのだな」
 黒い瞳から涙をぽろぽろこぼしながら牛夏美は頷く。そんな彼女を見たギロロは、すっと牛夏美の頭を自分の胸元に引き寄せた。そして頭に片腕をまわす。
「しかしいくらお前が泣いても、母親は仕事から帰ってこないぞ。現実を受け入れろ、夏美。今のお前は現実逃避しているだけだ」
「でも……でも!」
「ならば母親の代わりに、俺がお前のそばにいてやる。母親の代わりに俺がお前を守ってやる。……それでは、満足できないか?」
 牛夏美は驚いてギロロの方を見た。
「アンタが……あたしを守ってくれるの?」
 するとギロロは頷いて、
「お前は気付いてはいなかっただろうが、俺は今までだってお前にそうしてきた。だからこれからもそうする。だから安心してポコペン人に戻れ、夏美」
 そういうとギロロは力強く牛夏美の頭を抱きしめてくる。ギロロの小さな白い胸に鼻先をうずめた夏美は、小さいけれどその男らしさになぜかほっと安心する。
「うん、これからも守ってね……赤ダルマ」
 するとギロロは牛夏美の頭を片方の腕で抱いたまま、解除銃の銃口を押し当てた。そして、ゆっくりと引き金を引く……。



 一瞬白い光に包まれたような気がして、夏美は意識を取り戻した。
 四つん這いになったまま、おそるおそる顔を上げると、日向家の赤い居候が真摯な瞳で夏美の顔を見つめてくる。
「あれ……、ギロロ。あたし今まで何してたの?確かボケガエルに地下秘密基地に呼び出されて牛にされてそれで……。どうしたんだっけ?あたし」
 どうやら牛にされていた時の記憶はないらしい。ギロロは軽く嘆息すると、夏美から顔を背けた。すると夏美がきゃあっという大きな悲鳴を上げた。
「あ、あたし……なにこの格好!ってか全裸だし!」
「牛になった時、着ていた服が破れたんだろう」
 あわてて胸を両腕で隠して、夏美がその場にしゃがみ込むと、夏美に背中を向けていたギロロが、後ろを向いたまま、そっときれいにたたまれた衣類を出してきた。
「想定内のことだ。服を着ろ。モアに用意させていたものだ」
「あ、……ありがと。てかアンタ、あたしの裸見てないでしょーね」
「フン、子供の体など見てもつまらんからな」
「何よ!馬鹿にしてー」
 夏美はぶつぶつ文句をいいながら、ギロロに背を向け、下着を身につける。ギロロは夏美に背中を向けたまま、顔を真っ赤にして、全身から湧き出てくる興奮を抑えるのに精いっぱいだった。
「それにしてもボケガエルの奴、本当に許せないわ……。乙女を牛に変身させるなんて、この屈辱、どうやって晴らしてやろうかしら」
「やはり貴様は、牛よりもポコペン人のままの方がよかったか」
「そんなの当ったり前でしょー。それとも何?あたしが牛になった時、あたしなんか変なこといった?」
 ミニスカートをはき、ブラウスのボタンを閉め終えたのを見計らって、ギロロは夏美の方を見上げる。
「いいや」
 ギロロはゆっくりと首を振る。牛になった時の夏美の弱音は自分だけの秘密にしておこうとギロロは思った。夏美をこれからもずっと守っていくといったのも、自分だけの秘密。大切な秘密。

 


のーばなー
ケロンとにらめっこ!/ココナ 様