僅か10分の永遠


その報せは、突然齎された。

「ケロロ小隊各員へ。至急、地下基地中央司令室へ集合するであります」

「一体、何事だ?」

いつもと違い、威厳すら感じられるケロロの召集に首を傾げながら、中央司令室の扉をくぐったギロロ達を、ケロロはにこりともせずに迎えた。

「揃ったでありますか」
「何事だ、ケロロ?」
「…良くない知らせでござるか?」

その様子に、全員が自然と真顔になる。
珍しく、クルルですらいつもの陰気な笑いを消し、眼鏡をくい、と持ち上げる。

そんな隊員達をぐるりと見渡し、ひとつ大きく息をつくと、ケロロは前置きも無く切り出した。

「撤退であります」
「…撤退だと!?」

それは、爆弾としか言いようの無いものだった。

その一言が、ケロロの最も言いづらいものだったらしい。

ただそれだけを告げると、モアに命じて、彼らの眼前のスクリーンを展開する。

そこには、本部の決定と、撤退の命令を告げる大佐の姿が映し出されていた。

『宇宙侵攻軍特殊先行工作部隊ケロロ小隊は、今晩00:00をもってポコペンを撤退せよ。
 今回の撤退は完全撤退であり、今後、ケロン軍はポコペンへの侵略計画を凍結する。
 なお、撤退に当たり、ポコペン上のすべての痕跡及び記憶を消去するように』

誰も、口を開かなかった。

「…これより、今晩23:30まで、各々自由時間とするであります」

寂しげでありながら、どこか諦めを伴ったケロロの凛とした声が、司令室内に響き渡った。

「モモッチ……」

滝のように涙を流しながら、誰のことを見ることも無く、タママは超空間へ消えて行った。

「…小雪殿に、伝えねば……」

小さな呟きだけを残して、ドロロの姿は天井裏に消えた。

「………」

何も言わず、クルルは床のギミックによって、地下のラボへ籠って行った。


いまだ状況を掴めず、立ち尽くすギロロの肩を、ぽん、と叩く者がいた。

「ギロロ。
 何も言わずにいなくなる、というのは、無しでありますよ。
 たとえ、記憶を消すのであっても…、夏美殿には、ちゃんと言うのでありますよ」

そう言って、ケロロは表情を緩めた。
先ほどまでの張り詰めたような雰囲気から、今にも泣きそうな、寂しげな微笑みへ。

「我輩は、冬樹殿のところへ行って来るであります」


判っている。
これが、夢でも何でも無いことは。

―夏美と、永遠に別れなくてはならないことは。

それでも、いまだギロロは現実を受け入れることは、できなかった。


ぱちぱちと、焚火の音がする。
時折、風にあおられた火の粉が舞い上がる。

その風に混じって、何とも言えず香ばしい匂いが、辺り一面に立ち込める。

その匂いを胸いっぱいに吸い込み、夏美は満面の笑みを浮かべた。

「ギロロ!!」

カラカラ、とサッシを開け、こちらに背中を向ける彼に声をかける。

「焼けている。食うか?」
「うん!」

サンダルを突っかけ、ぱたぱた、と足早に焚火に寄って行って、彼の隣へ慣れた仕草で腰を下ろした夏美の目の前に、見事な焼き上がりのイモが差し出される。

「ありがとーっ!」

受け取ったイモを幸せそうな顔で食べ始めた夏美の横顔を、ギロロはじっと見つめていた。

この愛しい少女を、ずっと見守っていたかった。
ずっとこの手で、護り続けていたかった。

―それでも、その想いは果たされないまま、終わりを告げる。


はふはふと、夢中でイモを食べていた夏美は、ギロロがじっと自分を見つめていることに気づいた。

その視線の強さに、どきどきする心を抑えられない。

「…な、何!?」

悟られないように、わざと強い口調でそう訊いた夏美に、ギロロは覚悟を決めた。

「夏美」
「な、何!?」
「俺は、…俺達は、今夜00:00に、ポコペンから撤退する」

その意味が、判らなかった。

「………何?なんて言ったの、ギロロ?」
「ケロン軍本部から通達があった。
 俺達ケロロ小隊は、今夜00:00にポコペンから撤退する。俺達がいた形跡も、俺達の記憶もすべて消した上で」

耳には、届いていた。
それでも、理解することを拒んでいた。

「…何よ、それ…?全然、判らないわよっっ!!」
「夏美」
「どうして、どうしてよっ!?なんでそんなにいきなり、そんなことを言い出すのよっ!?」

激昂したような夏美に対し、ギロロはどこまでも冷静だった。
―冷静に、見えた。

「軍本部が決めたことだ。俺達に、拒否する権利は無い」
「ギロロっっ!!」

立ち上がった夏美を真っ直ぐに見据え、ギロロはきっぱりと告げた。

「今夜限りだ。
 今まで迷惑をかけて、すまなかった」
「ギロロ……」

唇を噛み締めて。
そのまま、夏美は後をも見ずに駆け出した。

取り残されたギロロは、俯き、ただ、最愛の少女の名をそっと呟いた。

「夏美……」



23:50。

日向家の屋根の上には、撤退準備を済ませたケロロ小隊の面々とモアが、既に顔を揃えていた。

「お別れは、済ませたでありますか?」

ケロロが、潤んだ瞳のままで全員を見渡す。

「………モモッチ……」

一度たりとも顔を上げないタママの頬を、尽きることの無い涙が伝う。
それはぽたぽたと音を立てて、日向家の屋根を濡らし続けていた。

「この美しい地球を護り続ける。小雪殿は、そう約束してくれたでござる…」

空を見上げながら、ドロロがぽつりと呟いた。

「けっ」

小脇に愛用のノートパソコンを抱えたクルルは、ただ一言呟いたまま、それっきり口を開かない。

ケロロが、ギロロに目を向けたその時。

「ギロロ」
「な、夏美殿!?」

涼やかな声に振り返ると、夏美が屋根によじ登って来るところだった。

茫然とするケロロの前を通り過ぎ、ギロロの前に立つと、―夏美は、ギロロの身体を抱え上げ、ぎゅっと、強く抱き締めた。

「な、夏美!?」

慌てふためく声が聞こえる。

それでも、夏美は抱く手を緩めず、ギロロの軍帽に顔を埋めるように頬を寄せた。

「お願い、ギロロ。
 その瞬間まで、こうしていて」

小さな、涙を含んだ呟きに。
ギロロは抵抗する動きを止めた。

ギロロに寄せた夏美の頬に、大粒の涙が後から後から零れ落ち、伝ってゆく。

声を出す事無く、静かに肩を震わせ、泣き続ける少女は、いつもより小さく、儚い存在に見えた。

「…夏美」

そっと、少女の耳元で、彼女の名前を囁いて。
ギロロは、その小さな腕をいっぱいに伸ばして、彼女の肩を強く抱き締めた。
互いの温もりを、互いの身体に刻みつけるかのように。

「あたしの記憶を消さないで…」
「そういうわけにはいかん」
「あんたを、覚えていたいのに…」
「俺が覚えている。お前が忘れても、俺は絶対に忘れない。
 お前の声を、お前の笑顔を、お前の温もりを」
「ギロロ…」
「夏美」

どちらからともなく、顔を上げ、見つめ合う。

言葉は、要らなかった。

吸い寄せられるように、二人の顔が近づく。

―初めての口接けは、苦い涙の味がした。

二人の唇が離れ、また触れ合い、角度を変えてはまた触れ合う。

やがて、その口接けが深いものへと変わってゆく。
互いの想いをぶつけ合い、互いの記憶を刻み込むかのように、どちらからともなく舌を絡め合い、互いの口内を探り合い、唾液を分け合い飲み干す。

誰一人、口を挟むことも、まして茶々を入れることすら無い、その状況で。

二人はただ、これまで互いに隠し続けていた想いのすべてをさらけ出すかのように、何時果てるとも無い口接けを繰り返すだけだった。


撤退まで、あと10分。
それでも、彼らにとっては、永遠とも思える一瞬。


00:00。


日向家の真上の空に、巨大な影が現れる。

「お別れだ、夏美」
「ギロロ……!!」

彼に縋りつくような夏美の腕を優しく振り解き、もう一度だけ、きつく肩を抱き締めて。

そして、ギロロは夏美の腕の中から飛び降りると、彼女に背を向けた。

「ギロロ………!!」

その悲痛な声にすら、振り返る事無く。
彼は、彼らの先に立って、迎えの宇宙艇の中へと姿を消した。

「ギロロ、ギロローーーっっ!!!」

後には、夏美の悲痛な叫びだけが辺りに響き渡った。



宇宙艇に収容されたケロロの左手の上には、見覚えのある機械が載せられている。

「…消去、実行するであります」

その宣言にも、彼の部下達は俯いたまま、顔を上げようとはしない。

そして、ケロロの指先が、記憶消去装置のスイッチにかけられた。



それから、ケロン星で1ヶ月の時が経つ。


「軍本部からの呼び出しとは…何事だ?」

自宅待機を命じられていたギロロは、軍本部の廊下を歩いていた。

「ギロロ君」

「ドロロか。お前も呼ばれたのか?」 「ギロロ君もなんて…。一体、何でござるか?」

ケロン星に帰ってからも、地球の侍言葉が残ったままのドロロが、訝しげに首を傾げる。

彼らがその部屋の扉をくぐると、先に来ていた面々が振り返った。

「ケロロ、タママ!」
「俺もいるぜぇ」
「クルル殿!!」

驚いたように互いを見つめ合う彼らに、「揃ったようだな」と声がかかった。

さっと敬礼する彼らの前に現れた大佐は、目の前に勢揃いした、元"ケロロ小隊"の面々を見渡した。

「本日、諸君らを呼んだのは他でも無い。
 宇宙侵攻軍特殊先行工作部隊ケロロ小隊。諸君らに、新たな任務を与える」

その台詞に、全員が顔を見合わせる。

「大佐。我輩達は、ケロロ小隊を解散させられたのでは…」
「ケロロ軍曹。口を慎みたまえ」

ぴしりと言われ、ケロロが口を閉じる。

「現在まで、どの星も侵略を為し得ていない稀有なる星『ポコペン』へ赴き、彼の星が成熟を果たすまで、ポコペンへ侵略せんとするすべての宇宙軍及び種族を排除し、彼の星を護れ。我々がポコペンと和平を結ぶ、その時まで」

誰も、口を利くことはできなかった。

長い沈黙の末、ケロロが喘ぐように口を開いた。

「…大佐。そ、それは……」
「頼んだぞ、ケロロ軍曹」

大佐は、微かに微笑んだようだった。


その日、夏美は朝から奇妙な胸騒ぎを感じていた。

待ち続けている何かが、現れるような。
求め続けている何かが、手に入るような。

その理由は判らない。
でも、あたしはずっと待っている。

忘れることはできないから。
失うことなど、できないから。


いつも通り、誰もいないはずの家に帰り着く。


門を開いたその時、夏美は何かの気配を感じた。
泣きたくなるほど懐かしく、胸を締め付けられるほど切ない想い。


引き寄せられるように庭へ回った夏美は、そこに佇む影を見つけた。

(何!?)

咄嗟に身構えかけた身体が、何故か金縛りにでも遭ったように動かなくなる。


影が、ゆっくりと振り返る。

「すまん、帰って来た」

心に深く刻み込まれた、
低く、甘い声。
鋭いけれど温かな、漆黒の瞳。

あれは、―誰?

考えるより先に、夏美の身体は動いていた。

ぶつかるように駆け寄り、その小さな身体を思い切り抱き締める。

「馬鹿…!」
「すまん…」
「謝ったって、許してあげないんだから!!」

ギロロの身体を抱き締めたまま、夏美は縋るように呟いた。

「もう、どこへも行かないで」

しっかりとその柔らかな身体を抱き返し、ギロロもまた呟く。

「もう、離さない。
 すべての想いを、お前に見せよう。
 …俺は、永遠にお前の傍にいる」

誓いと共に重なった唇は、
たとえようも無いほど甘く、心まで蕩けさせるような味がした。


二つの星をも動かした、宇宙を超えたその恋は。
後に、『僅か10分の永遠が齎した奇跡』として、語り継がれることとなる。


海月 様


『10年目のギロロと夏美』企画開催おめでとうとございます。
 原作10年目の節目に、このような素敵な企画に参加することができまして、本当に嬉しく思います。
 "10"にまつわるエピソードということで、"10分"を題材に書いてみました。
 お目汚しで申し訳ございません。

みづきさんばなー
最涯の地/海月 様