名古屋の思い出

8:日泰寺 

ここは、自転車でマンションから大須観音より少し遠い位の所である。

たまたま、通りかかって入ったと思う。五重塔などもある立派な寺で、洋服を着た外国人と思われる人物の像などもあり、説明文を読むと、仏教全宗派の寺だという。

調べると、いきさつは次のようなもの。

1898年、北インドのピプラーワーで、英国人のウイリアム・ペッペにより、釈迦の遺骨(仏舎利)が発掘された。インド政府によって仏舎利は仏教国タイ(当時はシャム)に贈られ、その一部がシャム国王「ラーマ5世」より、1900年に日本に贈られた。

1904年、贈られた仏舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、宗派を超えた寺として覚王山日暹寺が創建された。

戦災で全焼したが、1959年に再建、国名がシャムからタイに変わったこともあって日泰寺と改名した。その後、五重塔や山門が造られ、今日の形になったといいます。

   

ラーマ5世の像             本堂内陣(送られた仏像と仏舎利)

 この寺に思い出があるのは、その後、何年かして、現役を引退した後のことです。

タイの火力発電所の配電盤の仕事を日立工場から受注し、タイの電力会社の人が工場に来るということで、あまり、外国人と付き合ったことのない工場の連中が、どこか観光もかねて案内したいという話があり、何処が良いだろうという。

名古屋城犬山城などもあり、見せる所には事欠かないが、タイの大使なども必ず訪れるという、日泰寺にはぜひ案内したらよいといっておいた。

明治から戦後まで、日本タイの関係が仏教を通じてこのような形であったということをこの寺に行ったことではじめて知ったのである。

 それは、昨年、紀伊半島に行った時、トルコの軍艦が嵐で遭難し、大勢の犠牲者を出した時に、地元の人が救助に協力して、今でも両国の友好に寄与しているの知ったが、状況こそ違え、すばらしい話である。

(後記)これについては、下記を参照ください

紀伊半島の旅(その5)