祭りに思う

 長い会社生活の中で、外部で行われる祭りに直接参加したのは名古屋の会社に移って、国府宮の裸祭りであった。

これは、旧暦の1月中旬に行われ、13日がいわゆる裸祭りである。

この日は会社を休みにして、有志が竹ざおに布を巻きつけたものを作って、工場内を回り、神社に繰り出す。

自分も行った時から毎年参加したが、年も年で血圧も高く、工場内での行事までで、神社までは行かなかった。

まあ、出かける前からお神酒を飲んで、すっかり出来上がっており、勇壮な掛け声で出かけるのだが、周りから来る連中はもっと郵送で激しい。

 日立に居る時には、会社の行事が様々あるが、それらの多くは祭りと言っても良いかもしれない。

正月には、神前で祈願、消防の出初式、初荷行事、期毎の祈願、地鎮祭、盆踊りなどなど、色々なことが行われている。運動会なども広い意味でお祭りであろう。

 名古屋に行って、色々な祭りがあることに興味を持って、見に行ったりした。

国府宮、一宮、郡上八幡、高山、古川、などなど、それぞれに特徴のあるお祭りがある。

(名古屋の思い出(3)参照)

 これらはいずれも神事に関わるものであるが、次第に外部の人が増え、観光の要素が大きくなった。更に、札幌のよさこい祭りなどは、参加型の観光イベントである。

そうなってくると、祭りとは何?と言う疑問がわいてくる。

これについては、色々と分析している本もある。

 縄文時代以来、集落には、儀式があり、それに伴う祭事があったのであろう。

それは、生や死の祈り、収穫や戦いの祈りなど様々なものがあったであろうが、そこにクラス集団の儀式と行って良い者であったのであろう。

 それが、儀式のみならず、参加意識を高め一体感を作るうえで重要な役割を果たしてきたのであろう。

軍隊や会社などの組織でも同じようなことが行われてきた。

 それが、今日では、やる人達が楽しい、見る人達が楽しいと言う行事を祭りと言うことが多くなっている。

平和が長く続いてくると必然的にそうなるのであろうか。

集団としての祭りは、段々と廃れつつあるように見える。それは、祭りを支える集団が崩壊し、高齢化してしまったからであろうか?