何時の日か再び甲子園に

われらの母校が、甲子園に出場した時からすでに50年以上が過ぎ去っている。
我々の高校時代、茨城大会で4年連続優勝をして、北関東大会に進み、昭和28年についに憧れの甲子園出場を果たした。何といっても高校野球の創生期に飛田穂州という人物を出した名門校でもある。
 
          県大会優勝                       北関東大会優勝   

          水戸駅での壮行会                   甲子園 中京商と対戦し敗北  

 当時の同級生(31年卒業、31会)が集い、この10年ほど、地方大会に母校の応援に行っている。
いわく「旭輝くを甲子園で高らかに歌う会」である。

旭輝くとは、母校の校歌で1番はまあ、今でもさほど違和感は無いが2番ともなると、明治の作詞であるから、まさに今では時代錯誤的な内容で、戦後、歌うのを拒否などと言う騒動も起こった。

                      
              
                  校歌一番

毎回、集まるメンバーは15−20名で、甲子園出場組もいる。応援席の最前列に陣取っている。夏の暑い中、父兄達の飲み物などの差し入れもある。もはや、母校の応援の名物となっている。
毎回、終ってからファミレスなどでビールやドリンクバーで気勢を上げるのも楽しい。
今年は、4回戦で敗退したが、皆、結果にはほぼ納得。
              
            31会応援団の面々               応援団のぼり.              
         
   
         よくやった!!                      終っての楽しみ               

      昨年度の応援風景を追加しました。クリックしてアルバムを見てください。

       http://www.imagegateway.net/a?i=omLkZXeEUJ 

というのも、最近の野球専門高校にはどうしても勝てない。せいぜい順々決勝どまりである。

何といっても、進学校で、女子の比率が45%(我々の頃は2%位)にもなり、しかも、一学8クラス40名(当時は50名)だから男子数は当時の半分以下では野球校には対抗できない。

唯一の希望は、野球部志願が増えており、うまく、勝ち進めば、春の選抜の推奨枠に入れるのではないかと言うことである。(昨年は、推奨されたが枠に入れなかった)

これからも、応援を続けようと言う事で終る。そのうち車椅子席がいるぞ!!などと言いつつ。