奈良−明日香−山城(その3) 南山城を廻る

 旅も最終日だが、朝から生憎の雨。柳生方面へ足を伸ばそうと思っていたが、予定を変更し、当尾から加茂に抜け木津に出ることにした。結局、この日は野仏を見て、お寺参りの一日となった。
最後に京都府立山城郷土資料館により、この辺りの古代の歴史の一端に触れることができたのが収穫であった。

8時頃、奈良駅前からタクシーで、当尾の岩船寺近くの弥勒の辻まで行き、山道を通って岩船寺を目指します。

ここにある弥勒の磨崖仏は、笠置寺(奈良と京都の境の近く、木津川上流の笠置山にあり、古代、弥勒信仰の中心地として栄えた)の磨崖仏を模写したものと言われています。本物の方は、元弘の役の火災で焼けて剥離したとか。なんとなく、アフガンのことと似ていますね。こちらは、雨の中、濡れていて良く見えませんでした。

             

               磨崖仏(弥勒の辻)         笠置寺のもの

 ここから狭い坂道を登っていくと、三体地蔵と言うのがありますが、これも雨で濡れ、苔むしていて、ここにあるなと言うだけです。

山道を更に登ると、岩船寺の入り口に出ます。真言律宗の寺で聖武天皇の発願により、行基が建立したと言われるが、承久の乱で、寺伝など消失し定かでは有りません。本尊は10世紀頃、作られた阿弥陀如来で大きなもの(2.8mとか)です。

三重塔は、室町時代のもの、また十三重石塔は、鎌倉末期のものです。今まで廻った所には、奈良から鎌倉時代の十三重石塔が必ずありましたが。横に、白山神社があり、ここも重文です。

   

           本堂                       本尊弥勒菩薩坐像(案内から)

             

              三重塔                       十三重石塔

           

         塔の天邪鬼                    白山神社(春日神社造り)

 ここからは、急な山道を下り、石仏めぐりとなります。

          

          不動明王                  この付近、暗く雨が降る急坂

   

 笑い仏(地震などで崩れたのでしょう)     この辺の山里(ここまで来て耕すのは大変

 山道を下り、唐臼の壷という辺りに来るとようやく勾配もゆるくなります。岩船寺からの道筋には、袋に入れた色々なものをぶら下げたスタンドが随所にあり、100円を箱に入れると買えるようになっています。ここで、柿を買って食べました。

       

             色々なスタンド(もっと貧弱なものもあり)

  

    何じゃこれは(石に穴が開いているだけ)       阿弥陀坐像と菩薩立像

 

 更に進むと、道の横に「立ち入り禁止」の立て札のある石段が見えます。かなりの幅の石段で由緒ありげなので上ってみました。そこにはかなり立派な春日造りの神社があります。戻って、少し先で女の人に聞いた所、「村の神社で名前はない??ボヤ騒ぎがあって立ち入り禁止になった」と言います。良く分かりません。

                  

       立ち入り禁止の神社

更に進み、あたごの灯篭なる所から、藪の中の三地蔵を過ぎるとバス停が有り、その先が、浄瑠璃寺です。ここまで来ると観光客がいます。

   

         あたごの灯篭                        藪の中の三地蔵

 浄瑠璃寺は、1047年に薬師如来を本尊(今は三重塔内に安置)が創建され、1107年に九体阿弥陀堂が建立されたと言います。その後も様々な仏像などが安置されている。近世まで興福寺の末寺であったが、明治の廃仏毀釈で真言律宗に変わったといいます。

池を挟んで、東の三重塔薬師如来は過去世から現世に、そして西方浄土での西の阿弥陀堂九体の阿弥陀様九品(上品上生から下品下本までの人の品位)の人を皆救ってくれると言う訳です。

 ここは、すでに紅葉しており、素晴しい景色でした。

           

                        東の三重塔

         

                      西の阿弥陀堂

          

                  東の九体阿弥陀仏と西の薬師如来(絵葉書より)

 小雨となり、ここから加茂町(木津川市)のコミュニティバスに乗り、加茂駅に向かいます。秋の行楽期間は、30分おきに運転されており、便利だと思うのですが、PRも足りないのか、乗っているのは我々二人のみ。地元の人も乗っていません。

狭い山道を進んでいくと、次第に開けて、加茂駅です。駅前のうどん屋で、昼飯を食って、そこの親父に聞くと、前の駅は2階建ての木造で風情があったが今の駅は、何処にでもある形だと言います。

また、関西線は、加茂まではJR関西で、そこから先はJR東海で、ここまでは京都や奈良の通勤圏として12両編成の電車も来るが、この先は、名古屋まで殆ど1両だと言います。
 目の前は昔の伊賀街道だそうで、狭い道筋に古い家が並んでいました。

                       

                         加茂の伊賀街道

飯を食って、駅前でタクシーを拾い、海住山寺に向かいます。ここは町から離れた山の上で、途中民家の間の狭い道を通り登っていきますが、対向車もあり、さすがにここの運転は遠慮したいような所です。

 この辺りは、木津川が平地に出て開けた所で、聖武天皇平城京からここに都を移すこととし、恭仁京と定めたのですが、造営半ばで、近江の紫香楽京に移り、その後、山城国分寺国分尼寺が作られたということです。

 海住山寺は恭仁京造営に先立って735年に創建されたとの事。1137年に全焼しその後、色々な変遷が有りましたが、優れた高僧が排出し、室町期まで大いに栄えたようですが、秀吉の検地で寺領が減らされ、規模が縮小されたそうです。

ここもまた廃仏毀釈の時に、興福寺の末寺から、真言律宗に変わったとの事です。
 本尊は十一面観音で、国宝五重塔他、国宝、重文が多数あります。

丁度、五重塔の内部を公開していて、中を見ることが出来ました。この塔の心柱は少し上で終わっており、その下に仏壇があるという特殊な構造です。本坊他も公開しており、中を見ることも出来ました。

      

        海住山寺山門                        本堂

    

        五重塔                         本坊庭園

 山を降りて開けた所が、恭仁京、国分寺の跡地です。発掘調査がされています。

 

                       恭仁京、国分寺跡

              

                    国分寺の礎石と碑

 タクシーの運転手とこの辺はが多いねなどと話しをしていると、この辺りの出身者らしく、柿など買ったことがないなどと言い、今は誰も取らないので、烏と猿の餌になっているといいます。そして、待っている間に、近くの柿の木から取って(盗って??)きた一枝の柿を「これが甘いんだ、お土産にどうぞ」とくれました・

また、この辺から少し行くと宇治茶の産地だそうで、木津川もダムが出来る前は雨が降ると大洪水があったが、今は無くなったとも行っていました。

少し下ると、宇治川、桂川と合流するんだと言うので、女房と三川合流地点には、仁和寺の法師が行って、エジソンの碑がある神社??何だっけ??と言っても石清水八幡宮の名前が出てこない。ボケもだんだん激しくなってきました。

また、子供の頃は、ガキ大将の統率のもとに木津川で泳いだと、小生の子供の頃と同じような話しをして、川筋を下り、京都府立山城郷土資料館に到着です。ここは、この辺の出土品や歴史の経緯を展示しています。

                 

                      山科郷土資料館

 三階建てですが、2階部分が展示室になっています。
興味深かったのは、縄文以前からの遺跡の分布です。海や湖の近くの茨城や北陸、九州の遺跡分布と違い、縄文以前から古墳時代まで、その遺跡が殆どラップしていることです。

これは、気候変動による海面水位の変化などでの住居移動などがなかったということでしょう。

 大河の近くなどでは洪水や水位の変化で、弥生以前の人達の生活は不安定であったと推察されます。大和朝廷成立期の氏族の興亡なども、安定した居住条件の整った所の氏族が長期的には有利であったと思われます。(これが風水??)

明日香などはその良い例ではないでしょうか。4−5世紀頃、色々な政権があったと言うことですが、やはり、居住地域が安定していた氏族が強力になっていったのではないかと思います。

帰って、家の本を探してみたらNHKブックスに「環境考古学事始」(安田喜憲)と言う本があり、大半は旧石器から縄文時代について、気候と植生などから日本人の分布などを書いていますが、弥生時代のことにも触れており、弥生前期から中期にかけて大きな遺跡があった河内平野地方が中期以降、洪水などですっかり遺跡がなくなっている。このことが大和の勢力の拡張にもつながったろうと言うことが書いてあります。
この本は1980年初版ですからその後、もっと色々な発掘、発見などもあったろうと思います。
別途また勉強してみたいと思います

 このようなことを思いつつ、木津からJRに乗り、帰宅しました。

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