Top Pageへ戻る

1999年3月 ****中学・高等学校研究紀要43号

女子総合学園における性的マイノリティに関わる課題

京女はペニスをつけた女生徒を受け入れられるか

****中高教諭 成田文広

はじめに

  この小論の副題を一目見て、「成田は頭がおかしくなったんじゃないのか」と首をひねられる方や「研究紀要にふさわしくない」と眉をひそめる方もおられるだろう。また、性的マイノリティに関する理解(知識)の深い方は、「こうした茶化した物言いが偏見を広げる」と危惧されるかもしれない。そして、この小論の最後で行う「提起」を、非現実的かつ非常識、否、妄想的であると斬って捨て、あるいは一笑に付す方もおられよう。

  しかし、昨今の「性」にまつわる様々な社会認識と、それとは対照的な本校の現況を思いやる時、こうした「先端的」な問題から、我々の学校が内包している問題を捉え直すことは有意であると信ずる。我々が「現実」であると思っていたものが、極めて一面的な側面をのみ見ていたものであり、「常識」がいかに無知からくる偏見に満ちたものであったか。

  「性」は男女間の結婚と生殖にのみ集約されるべきものであるという見方が、いかに多くの人々を傷つけてきたか。我々が未婚の男女の性行為を「ふしだら」と批判しつつ、結婚した男女に対して「いつ子どもを作るのか」と無神経に問い、子どもができぬことを「不幸」と決め付ける。既婚の異性の付き合いを「反道徳的」と眉をひそめ、離婚者は人格に欠落したものがあるかのように囁く。マスターベーションは「不健康」な行為で、同性愛は「異常で不道徳」であると信じて疑わなかったことが何に由来するのか。性は生きるエネルギーであり、性のありようは個性そのものであることを薄々知りながら、性の多様性を認めようとせず、無視し、あるいは恐れるのは何故か。

  今こそ、そうした性にまつわる「常識」が、フェミニズムやジェンダー思想の登場、性科学の発達や性的マイノリティのカミングアウトによって覆されてきた歴史と現実を直視し、今日的かつ普遍的な課題を克服すべく、教育の再構築を目指す時である。その潮流を見極めることによってこそ、我々の学園が社会と共に存在し、これからの社会に支持され得る女子校として再認識されよう。

  いま巷の多くの男女別学校が共学校へと衣更えしつつある。その流れ中で、本校が「女子校」として存在し続けようとするならば、それなりの理念と目標と実践を持たねばならない。しかし、我々の多くは「本校の女子校としての存在意義は何か」というテーマをまともに議論はしてこなかった。かつて共学化への可能性に付いて語られた時、当時の砂野校長は「共学にした時、まず問題になるのは校名ですね」と語る以上の何をも持ちあわせていなかった。本校の女子校としての価値は「京都で唯一の女子の理系進学校」という入試対策の文脈の中でしか語られず、それを中和するかのように「自主活動における積極性」を付け加えてきたに過ぎない。我々は女子に何を教育するのかと言う課題と直接向き合うことを避けてきた。そして今、学校像を再構築する試みを「学校像委員会」によって為そうとしている。

  我々が今、何をどうすべきかを議論するに当たって、まず現代社会で問われている様々な「性的」な問題に関する課題を概観したい。その上で本校の教育とその課題との接点を共に確認したい。そして最後に、この課題に対するアプローチとなる提起を私なりにしたい。

  なお、@のついた語注の用語説明は「TSとTGを支える人々の会」掲載の用語集から引用させて頂いたものであることを初めにお断りする。

目次に戻る


T 性的マイノリティとは

  我々が「性的」という言葉を耳にし口にする時、それが「下半身」の問題として語られることが圧倒的に多かろう。だからこそ、性にまつわる様々な課題を我々の教育課題としてオープンに語ることを躊躇させ、生徒の性的な「問題行動」に誠実に対処できず、その一方で職員室の片隅で色恋のゴシップや猥談が囁かれるという屈折した状況を生み出してきたと言えよう。

  しかし、「人間の性は股の間にあるのではなく、耳の間にあるのだ」と言う言葉を待つまでもなく、我々が課題とすべき「性」は生物学的・医学的・社会学的・経済学的・法的・文化史的・宗教的・文学的かつ芸術的問題に関連する多義多様な問題であり、突き詰めれば人権の問題であり、人間としてどう生きるかと言う哲学的な問題である。男女間の性行為にまつわるあれこれのみを性的問題として捕えようとする無知や偏狭さが、様々な性的マイノリティ(量的相対的弱者=異常者ではない)のみならず、性的マジョリティ(量的相対的強者=正常者ではない)の人権や生き方にも様々な悪影響を与えているのである。

目次に戻る


(1)性のグラディエーション

  「男性」「女性」を法的に区分している戸籍に記載される性別は医師の出生証明によって為されるが、それは、普通「外性器の形状」によって単純に判定され、否応なくその性にしたがって生涯を送ることが決定付けられているのが日本の現状である。本校の入学条件に「女子」であることが明記されているが、その「女子であること」はいかなる根拠に依っているのかと改めて問うものは少なく、その回答としての「戸籍上の女子であること」に多くは何ら疑問を待たない。そこで、この小論で課題とする性の問題とはいかなる問題であるのかを初めに明らかにしておきたい。

  自身がインターセックス※1である橋本秀雄氏は人の「性」の構成要素として、下記のように、「先天的に獲得する四つの胎生期の性」と、「後天的に獲得する五つの性」を指摘している。※2

@性染色体の性
     x性染色体とy性染色体の組み合わせの構成をしているのか?
A性腺の構成
    卵巣、精巣、卵精巣、腺状性腺に分化しているのか?
B内性器形態
    子宮に分化しているのか?前立腺に分化しているのか?
C外性器形態
   陰唇やクリトリスに分化しているのか?陰嚢やペニスに分化しているのか?
D誕生した時医者が決定する性
    女の子のなのか?インターセックス(半陰陽)なのか?男の子なのか?
E戸籍の性
    社会的な性的二元論
F二次性徴
    月経が発現するのか?勃起して射精するのか?どちらも発現しないのか?
G性自認
    女性なのか?男性なのか?インターセクシャル(半陰陽者)なのか?その他
H性的指向
    女性を指向するのか?男性を指向するのか?両性を指向するのか?その他

自身がトランスジェンダー※3である三橋順子氏は、こうした性の構成要素を更に構造的に解析した。その「性の構造図」が次の表1である。※4

表1性の構造図

(表層)

   @ 社会的性

  k  ジェンダーパターン
  j   ジェンダーロール

 →C対象の性

   A 心の性

  i  後天的な性自認
  h  基層的な性自認
  g  脳の性

   @ 身体の性

  f   外性器の性
  e  内性器の性
  d  ホルモンの性
  c  性腺の性
  b  性染色体の性
  a  遺伝子の性

(深層)

  構造図中の@の「社会的性」とはいわゆるジェンダー※5の性である。ジェンダーパターンはその性らしい仕草や服装など、ジェンダーロールはその性らしい性役割をさす。Aの「心の性」はいわゆるジェンダーアイデンティティで、自分が男(または女)として存在しているという本人の意識。Bの「身体の性」はセックス、つまり医学的に判別される生物学的な性。Cの「対象の性」はセクシュアリティ、つまり性的指向(性的な欲望の対象が男に向かうか女に向かうか)である。

  このうち「g脳の性」について、トランスジェンダーやトランスセクシュアル、またホモセクシュアルやその他の性的マイノリティという存在が脳の生理学的障害によって発生するという研究結果もあるが、未解明の部分の方が多い。※6男女差やセクシュアリティーについて「科学的なより所」を求めようとする余り、未解明な部分の多い脳の研究に「原因」を探し出そうとすることは、性的マイノリティを「異常」扱いし、「治療」の対象としかねない。それは、性的マジョリティが自らの性のアイデンティティを保ち、自分は「正常」であることを確認しようとする作業になりかねない危険をはらんでいる。

  こうした多様な性の構成要素を踏まえ、自分自身に対する客観的な性のありようを理解する事が、性的マイノリティの問題を理解する上で重要な課題となる。伏見憲明氏は「自分が『女』である『男』であるという意識である性自認、性役割や思考の傾向が『女』らしいか『男』らしいかというジェンダー、性的指向がどちらの性別を向いているのかというセクシュアリティの三つの要素が、個々人の中でそれぞれ別に、微妙なバランスで共存しているということになる。それらは連動しているように見えるが、個々の例を分析してみると、実際は、動きはかなりバラバラで、むしろそれらを独立のパラメーターとしてとらえた方がいいだろう。」と述べている。※7橋本氏や三橋氏、伏見氏の性の構成要素や性の構造の理解を踏まえて表2のようなチャートを作ってみた。

  五つの性の要素それぞれに対して、男性性=●と女性性=○の二通りが存在するので、組み合わせは全部で32通りとなり、男と女と言うような単純な二分法は成立しない。1番から32番までの多様な性のパターンの中から、みなさんは「自分の性の構造」が何番に当たるのか探すことができるだろうか。

  我々が、性の多様性やマイノリティについて俗っぽく語る時、その多くはセクシュアリティ(性的指向性)に偏り勝ちである。同性愛者(ホモセクシュアル)を「ゲイやレズ」と呼び、異端(変態)視し、みずからの異性愛指向(ヘテロセクシュアル)こそが正常かつ健全なセクシュアリティだと安易に信じ過ぎてはいないだろうか。32通りのパターンの中で、我々が「一般的」に正常だと信じたがっているのは、表中の2番と31番の二つのパターンに過ぎない。

表2性のグラディエーション

●=男性性
○=女性性

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31

32

染色体の性

身体の性

性自認

ジェンダー

性的指向

  9番から24番までの「染色体と身体の性が一致しない人」の中には、自分が男(あるいは女)と信じて疑わなかったにもかかわらず、思春期になっても第二次性徴が現れないため診察にいった病院や、スポーツ競技でのセックスチェック(これも今や廃止の方向にある)、不妊治療の検査などで初めてその事実を知り、ショックを受けたインターセックスの人もいる。

  7番や28番は「染色体もセックスも男(女)でありながら、性自認もジェンダーも女(男)である人」である。だからこそ男(女)に対してセクシュアリティ=恋愛感情が芽生える。身体の性と心の性の不一致に悩む性同一性障害(GID)※8の人の中には性別再指定手術(俗に言う性転換手術)※9によって、みずからの「本来」の性を獲得しようとするトランスセクシュアル(TS)※10の人もいれば、心の性と身体の性との間に違和感を持ちつつも手術までは望まず、違うジェンダーを纏った生活を望むトランスジェンダー(TG)の人もいる。これは、性自認が男(女)である上で、男(女)が好きなホモセクシュアルの人とは区別されるべきであろう。TSとTGの課題については、別項で再考したい。

  3番や30番のホモセクシュアルの人は、みずからが男(女)という性自認を持ちながら、女(男)としてのジェンダーを纏うことを好む人であり、その中にはいわゆる「オネエ」言葉を特徴とする「オカマ」(または、その逆の「オナベ」)「ニューハーフ」※11の人も居り、風俗やメディアでもの珍しげに取り上げられ、また特定のコミュニティーで生活している人もいる。※12

  我々は、多様なホモセクシュアルを一括して「変態」呼ばわりし、インターセックスやTG・TSの人たちを、時には哀れみ時には嫌悪と好奇の目で見る。と言うよりも、その存在や実状を正確に知ってすらいない。

  こうした多様な性のありように加えて、男であるか女であるかと言う「性の二分法」の枠のいずれかに固定された生き方を望まず、二つのジェンダーの間を時として行き交うトランスベスタイト※13や、性的指向の揺れるバイセクシュアル※14、二つの性の境界に自分の居場所を見つけようとするポリセクシュアル※15の人たちもいる。また、これまで述べて来たような「性」の視点とは別に、フェミニズムの視点からジェンダーを考察したり、性の二分法からの解放を目指すジェンダーフリーの運動もある。

  「身体も意識も男(女)で性的指向が異性であるヘテロセクシュアル」は、量的には性的マジョリティではあっても、性の多様性の中では極めて限定的な一存在にしか過ぎないということを、ここで改めて確認しておきたい。

目次に戻る


※1@ インターセックス/ intersex

先天的に、生物学上の男性的特徴と女性的特徴を合わせもつ状態、あるいは人々。「間性」「両性具有」「半陰陽」といった言葉で一般的に知られている。近代医学では、インターセックス児が生まれた場合、どちらかの性を判定し、養育上の性に合わせて内外性器を切除・形成することが奨励されてきた。しかし最近になって、養育上の性と一致しない性自認が発達したケースが報告されるようになり、治療方針の見直しが議論されている。
参考文献
橋本秀雄・小田切明徳共著「インターセクシュアル(半陰陽)の叫び性のボーダーレス時代に生きる」
青弓社/橋本秀雄著「男でも女でもない性インターセックス(半陰陽)を生きる」青弓社より

※2 橋本秀雄著「男でも女でもない性インターセックス(半陰陽)を生きる」青弓社より

※3@ トランスジェンダー/ transgender (TG)

狭義には、「性別違和」を感じている人の中で、反対の性での生活もしくは、既存の性役割にとらわらない形での生活を望みながらも、形成外科手術までは望まない人。広義には、それに加え、トランスセクシュアル、トランスベスタイトなどを含む総称として用いられる。 
参考文献
渡辺恒夫著「トランスジェンダーの文化異世界へ越境する知」勁草書房
蔦森樹著「男でもなく女でもなく新時代のアンドロジナスたちへ」勁草書房

※4 河野貴代美編〈女性と心理〉第2巻「セクシュアリティをめぐって」新水社

第一章「性」を考える  トランスジェンダーの視点から  三橋順子より

※5@ ジェンダー/ gender

身体の性別だけでは捉えきれない人間の性を表現するための概念として生まれたが、現在では、生物学的性に対比させて、社会的・文化的性の意味で用いられることが多い。また人によっては、「性自認」または「性役割」を意味して使う場合もある。

参考文献
伏見憲明著「〈性〉のミステリー越境する心とからだ」講談社現代新書
*ジェンダーに関しては、特に女性学関連の図書で多く触れられている。巻末に添付した「参考図書リスト」の30番台から80番台の図書を参考にされたい。

※6 参考文献

田中冨久子著「女の脳・男の脳」NHKBOOKS821

※7 伏見憲明著「〈性〉のミステリー越境する心とからだ」講談社現代新書より

※8@ 性同一性障害/ Gender Identity Disorder (GID)

身体(からだ)の性別(sex)とこころの性(gender)との間に食い違いが生じ、それゆえに何らかの "障害"を感じている状態。日本精神神経学会の『性同一性障害に関する答申と提言』では「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」と表現している。精神医学における疾患単位名。

※9@ 性別再指定手術/ Sex Reassignment Surgery (SRS)

一般には「性転換手術」として知られているが、性同一性障害者にとっては性別を転換(変更)する手術ではなく、誤った身体を修正し本来の性別を獲得するために必要な手術と考えられるため、「性別再指定手術(SRS)」という表現が用いられる。最近では、Gender Reassignment Surgery(GRS)とも表現される。また、ホルモン療法/ hormone therapyがあり、身体に対する違和感や不快感を軽減する手段として、男性化を望む場合に男性ホルモンを、女性化を望む場合には女性ホルモンを投与する。

※10@ トランスセクシュアル/ transsexual (TS)

「性同一性障害者」の中でも、身体の性とこころの性の不一致を特に強く感じている人たちのことで、この二つを一致させるために形成外科的手術を強く望む人。手術前の場合をpre-op TS、手術後の場合をpost-op TSと区別して表現することもある。MTF/ male to femaleは、「男性から女性へ」という意味。MtF, M2Fとも表記される。上記の略語の頭に付けてMTFTS, MTFTG, MTFTVのように用いられる。また、FTM/ female to maleは、「女性から男性へ」という意味。FtM, F2Mとも表記される。FTMTS, FTMTG, FTMTVといったように用いられる。現代の日本では女性の服装が多様化していることもあり、FTMTVという用いられ方をされることは少ない。

参考文献
虎井まさ衛「女から男になったワタシ」青弓社
松尾寿子著「トランスジェンダリズム性別の彼岸性を越境する人々」世織書房
八岩まどか著「Trans Sexual『心の性』で生きる」朝日ソノラマ

※11@ オカマ,オナベ

「オカマ」は女装した男性や男らしくない男性に対する俗称だが、男性同性愛に対して用いられることも多い。差別的な意味あいを強く含むため、当事者が自分に向けられて不快に思うことが多い。「オナベ」は同様に男装した女性や女らしくない女性に対して用いられる言葉である。
「ニューハーフ」は和製英語。女装した男性であること、あるいは男性から「性転換」したことを公言して、風俗関連産業、芸能産業などに従事している人を指す。性同一性障害の当事者も多く含まれると予想されるが、ホモセクシュアルの男性が職業的に女性性を演じている場合もある。
「シーメール」/ shemaleは英語で「ニューハーフ」に近いニュアンスを持つが、風俗関連産業、芸能産業などにおいて、女性化した乳房と男性外性器の両方を持つ状態を明示的に指すことが多い。
「クィア」/queerは英語では元々、「変態」の意味を持つ蔑称だが、近年では、様々な性のありかたを掲げる少数者の権利獲得運動の中で、否定的なレッテルを逆手にとった前向きな言葉として自称に使われることも多い。
「ドラァグ・クィーン,ドラァグ・キング」/ drag queen , drag kingは英語で「クィーン」は女装者、「キング」は男装者であり、「ドラァグ」は元々、(ドレスの裾を)ひきずるという意味を持ち、長大華麗な衣装をまとうことを言う。ゲイまたはレズビアンが「女性役割」「男性役割」を誇張する過剰な扮装によって虚構の「女性」や「男性」を演じ、性役割を茶化して楽しんだり、同性愛に対し理解を示さない保守的な人々を風刺する表現行為。

※12@ ホモセクシュアル/ homosexual

同性愛者。同性愛者の多くは、身体の性と性自認が一致した状態で、かつ男性が男性に、女性が女性に性的指向が向いている状態にある。一方、生まれもった身体の性と性自認が異なる性同一性障害者の場合、生れもった身体の性が「女(男)」で自己を「男(女)」であると認識する人が男性(女性)を恋愛や性欲の対象とする場合に「同性愛」と表現される。

参考文献
伏見憲明著「プライベート・ゲイ・ライフポスト恋愛論」学陽文庫
伏見憲明著「〈性〉のミステリー」講談社現代新書
松尾寿子著「トランスジェンダリズム性別の彼岸性を越境する人々」世織書房
兼松佐知子著「人間の生涯と性5さまざまな性多彩な個の性愛」大月書房

※13@ トランスベスタイト、クロスドレッサー/ transvestite(TV), Cross Dresser (CD)

異性装者、すなわち一般で言われる「女装者」「男装者」のこと。精神医学では、異性装者には身体とこころの性の不一致がない、つまり性別違和感がないとして「性同一性障害者」と区別する。が、異性装することによって性別違和感の解消を図っている性同一性障害者も異性装者コミュニティに混在していることは否めない。 

※14 参考文献

ユリイカ1998年2月号特集「ポリセクシュアル性とは何か」青土社
河野貴代美編〈女性と心理〉第2巻「セクシュアリティをめぐって」新水社
第7章「バイセクシュアリティの可能性に向けて」河野貴代美

※15 参考文献

石井達朗著「ポリセクシュアル・ラブ」青弓社
ユリイカ1998年2月号特集「ポリセクシュアル
性とは何か」青土社


目次に戻る




(2)トランスセクシュアルとトランスジェンダーに関わる課題

  かつてのハンセン病や現代のエイズ、様々な精神障害、人種・民族・文化・地域に対する差別や偏見の多くは何によるものか。それは、マジョリティがマイノリティを攻撃することによって得られる優越感や一体感、自分達が理解できないものが自己のアイデンティティを脅かすことへの忌避と嫌悪、それらすべてに関わる無知によって生み出されてきたと言っても過言ではなかろう。前項で概観した性的マイノリティや多様な性の構成を持つ人々が、ヘテロセクシュアルで性の同一性に疑問を持つことなく生活している人と、何らの差別も受けず、また、その差異を「個性」として受け入れられている社会であるならば、我々の世界はより大きな包容力を持ち、すべての者が暮らしやすい社会となっているはずである。そうした前提で、この項では特に性同一性障害を持ったトランスセクシュアルやトランスジェンダーの「児童生徒」が抱える課題に絞り、本来本校も直面しているはずの問題を探ってみたい。

@ 公開シンポジウム「性同一性障害

「男か女かで悩む子供たち」資料より

  1998年9月26日に東京ウィメンズプラザホールにおいて、「TSとTGを支える人々の会」が主催して「性同一性障害男か女かで悩む子供たち」をテーマにシンポジウムが行われた。トランスセクシュアルは、遠いどこかの国の話ではなく、我々の日常と隣り合わせの、我々の学校の中にも存在し得る問題である。

  シンポジウムに先立って上映された映画「ぼくのバラ色の人生」は女の子になることを夢見る少年リュドヴィックの物語である。一般に「男っぽい少女」は社会的にも認知されやすいが、「女の子っぽい男の子」は同性からも異性からも、大人からもゆえなき非難の的になり易い。そうであればこそ、そうした少年の中に、他の男子生徒との比較がされにくい女子校で「女子としての生活」を望むものが出てきても不思議ではない。

  シンポジウムの資料として添付されていた1998年7月17日発行の「週刊朝日」には、そうした悩みを持つ生徒達の悩みの声が取材されている。その幾つかを抜粋し紹介する。

(中略)「男物の下着じゃなくちゃ、絶対に嫌」と言い出した12才の時。第二次性徴が始まったころから身体への嫌悪感が強まり、この一年、ほとんど入浴を拒んでいる。ふくらみ始めた胸を「えぐってやる」と刃物で刺そうとしたこともある。自殺も試みた。(中略)いま家庭裁判所に、性同一性障害の理由で女名から男名にするため、戸籍の改名の申し立て中だ。また、受験希望の高校数校に、男子としての通学が可能かどうか打診している。
Aさんは、三年前、春の集団検診で男子生徒をまとめて上半身裸にさせて「しまった」と思った。女の子のように恥ずかしそうに胸を隠している子に気付いたからだ。16才、二年生になってから化粧し、髪型をポニーテールにし、ミニスカートで登校してくる子だった。「その子には謝りました。女子だけはカーテンの中で一人ずつ下着を脱ぐようにしていたのですが、性別に関係なくプライバシーに配慮すべきでした。翌年から全員個別に脱がせています。」
85人の調査によると、男性から女性に越境した人の60%、女性から男性に越境した人の45%が、過去に登校拒否の経験があった。「原因は、制服やいじめの問題が多い。女性から男性への方が数が少ないのは、ボーイッシュでも社会の抵抗感が少ないからでしょう」


目次に戻る


A「Trans Sexual『心の性』で生きる」より

  埼玉医大の倫理委員会では、1995年から性同一性障害(GID)を持ち、性別再指定手術を望む人たちに対して、日本での性別再指定手術の再開することの可否について議論された。それが公表されて以来、様々なメディアで、TSやTGに関する報道が溢れ、NHKのドキュメンタリーでも特集されるに至った。同時に、それまではホモセクシュアルに関するテーマは多くあったものの、TS・TGについてはほとんど取り上げてこれなかった出版界でも、当事者の声を取材し、その実態をリアルに伝えようとする試みが起こってきた。

  中でも1998年10月に出版された八岩まどか氏の著書「Trans Sexual『心の性』で生きる」(朝日ソノラマ刊)には、思春期を迎え性同一性障害に悩む数多くの声が取材されている。そこで紹介された事例の一部を要約し、以下紹介する。

  本校は現在戸籍上(身体の性において)の女子のみが入学してきているが、性自認が女で、女性のジェンダーとして生きることを望み、それにふさわしい学習環境を求める少年が、本校の門をたたくことを想像してもらいたい。

  仮に彼がリアルライフテスト※17によってトランスセクシュアルと認定され性別再指定手術を望んでも、成人を迎えていない12才(15才)の身としては、外見上の性を変えることはいかんともし難い。しかし、仮に彼の外見が極めて女性的であり、完全に女の子としてパッシング※18していたとしても、戸籍上の性に拘束されて本校への入学は認められない。本人が自分を女の子だと思い、専門家もそれを認め、服を着た姿を見る限り女の子としか見えず、その子が女子校に通いたいと願っているにもかかわらず本校は彼に門を閉ざすのである。その一方で、自分の性は男だと自認し、本来は男としてのジェンダーを身に纏う事を望んでいる「女子」や、インターセックスであることを告知された「女子」は、本校の生徒として受け入れられる。

  このことを矛盾と考えるかどうかが、これまで述べてきた性の多様性をどう理解するかと深く結びついている。人格や個性を尊重するとは何をすべき事なのかが投げ掛けられているのである。「戸籍の性」に何の疑問も抱かず、「常識」にこだわりつづけることは、時として無知ゆえの人権侵害となりかねない。本校において、「女子であること」の定義を真剣に再考すべきであるという私の主張は、こうした「事実」を踏まえた所からくるものである。


※16@ カミングアウト/ coming out

自分に関するある事柄について他者に打ち明けることで、"Coming out of the closet(押し入れの中から外に出る)"という比喩表現に由来する。同性愛者が自己の性的指向性を肯定的に捉え、それを公にする中で人間性の回復を求めた運動から生まれた言葉であるが、現在では様々な場面で使われるようになっている。性同一性障害では、すでに希望する性で社会に溶け込んでいる人が過去の経歴を周囲に告白する場合と、出生時の性のまま生活している人が自分の希望を周囲に告白する場合などがある。

※17@ リアルライフテスト/ real life test (RLT)

既存の社会制度の中で、「望みの性」で実際に生活してみるという体験を通じて、そこで生じる様々な "障害"を自分なりに克服し、社会的適応度を確認するための作業。「性別再指定手術」などの不可逆性の強い医療措置を行う前に、特に医療者側から求められるものであるが、その具体的内容は様々である。

※18@ パス,パッシング/ pass, passing

「望みの性」で社会的に通用すること。FTMならば他人から男性と判断され、女性またはFTMと思われないこと。MTFならば他人から女性と判断され、男性またはMTFと思われないこと。「望みの性」で社会的に通用し、社会に溶け込んでいるトランスセクシュアルやトランスジェンダーをパスドTS(passed TS)またはパスドTG(passed TG)と表現することもある。逆に、外見上の制約から、「望みの性」で通用しない状態をノンパス(non-pass)と表現することもある。


目次に戻る




(3) 性的マイノリティに対応する最近の教育運動

  1999年の1月に、日本教職員組合(日教組)と全日本教職員組合(全教)の教研集会がそれぞれ行われた。そのいずれの教研集会でも、性的マイノリティ(主にホモセクシュアルに関して)に関する教育活動がレポートされたのは、偶然の一致ではなく、現代の社会情勢がそれを要請しているからに他ならない。そのレポートの一端が1999年1月21日付けの朝日新聞夕刊に紹介されている。その一部を以下抜粋する。

  こうした取り組みが、すでに様々に行われている中で、本校が「女子教育」を建学の基礎に置くのであればなおさら、「性」にまつわる教育課題や、教員自身の性に関わる意識が問い直されずには済まない。


目次に戻る




U ジェンダーと女子教育

  1. ジェンダーと学校教育

  フェミニズムに立脚する男女平等=女性解放の運動は、1970年代以降確実な成果を上げてきている。しかし、今なお企業内での賃金格差や就職・昇進差別や家庭内でのドメスティックバイオレンス、教育機関内でのセクシュアルハラスメントなど、男と女の二項対立が生み出す不平等や差別、性的な支配・従属の構図はなくなっていない。一方で、アメリカ合衆国を中心に、メンズ・リブに見られるような男性側からの既存のジェンダーに対する疑問や解放を求める運動も湧き起こりつつある。そうした流れの中で、労働省を中心とした「男女共生」のプログラムが策定されたり、人事院を中心とした「セクシュアルハラスメントに関するガイドライン」施行の動きが急となっている。

  これまで、性的マイノリティへの対応に関わる状況や課題をいくつか示してきたが、ここで我々は「女性」というジェンダーの枠の中で行われている教育が、どのような影響を及ぼしているのかについて再考する必要があろう。

  1998年7月発刊の「岩波講座現代の教育5共生の教育」でも、障害児・高齢者・部落・民族にまつわる様々な差別を乗り越えた「共生」を目指す課題が論じられているが、その共生の課題の一つとして、男女間のジェンダーにまつわる課題が提起されている。※19紙数の都合上、本稿では触れられないが、「ジェンダー」とは、単なる男・女らしさを示す記号ではなく、我々が性に抱いた常識を厳しく問いただす「思想」そのものであることだけは触れておきたい。

  こうした、生物学的・社会学的・文化史学的性な性(ジェンダーとセクシュアリティ)の課題へのアプローチを、カリキュラムを包括する学校の教育プログラムとして積極的に組み立てている学校も少なくない。その一つとして、岡山県倉敷市にある清心女子中高等学校の実践は、特別講座の一つのしての女性学の講座や性教育のカリキュラムにおいて特筆すべきものの一つである。その取り組みの概要について、インターネットのホームページから転載し、その一部を以下紹介する。

【清心女子カリキュラム】

《自分で選んでみよう!》

 高校2年では、週に1回、午後の5・6校時に「発展科目」が設定されています。 この科目は、いくつかの講座の中から自分の興味・関心に基づき学ぶテーマを選ぶことができます。何を学びたいか?、まず考えることから始まるのです。

《どのような講座から選ぶのか?》

 講座は、6つのカテゴリーに分類されています。
  「コミュニケーション」,「国際理解」,「人間・文化」,「情報科学」,「表現・創作」,「現代社会」のカテゴリーごとに、いくつかの講座が開設されています。
*前期・後期制
 発展科目では、1年を前期(4月〜9月)と後期(10月〜3月)に分ける二期制を採用しています。各講座は半期で完結するように授業計画が立てられていますので、前期と後期で1つずつ、2つの講座を選択することができます。ただし、「表現・創作」のカテゴリーの講座は通年開講となっていますので、1つの講座を1年間通して選択することになります。

《自ら学ぼうとする姿勢を!》

 発展科目では、課題設定から学習の進め方まで、自ら取り組む姿勢が求められます。
 この科目のねらいとして、次のようなポイントを挙げることができます。
 1.課題解決や探究活動に主体的・創造的に取り組む態度を育てる。
 2.情報の集め方やまとめ方、報告や発表・討論の仕方、ものの考え方を習得する。
 3.現実の社会や自然と自分との関わりについて考え、自分の進路選択の指針となる価値観を身に付ける。
 各講座で程度の差はありますが、発展科目ではこの3点のねらいを意識した授業が展開されます。受け身ではなく、積極的な授業参加を期待します。

《授業の特徴は?》

 1講座の受講者数は、できるだけ30人以下の少人数で開講できるように、希望者を調整します。
 少人数で、発表や討論などを中心としたゼミナール形式の授業展開をめざします。
 受講者1人1人が授業をつくっていくのだという自覚が必要になります。
 講座によっては、学習活動の一環として、次の様な内容を採り入れることも考えられています。
 ・見学会 ・講演会 ・フィールドワーク(訪問、調査、インタビューなど)
 ・ディベート ・プレゼンテーション
 様々な取り組みを通して、「主体的に学ぶ」ために必要な技法を習得することをめざします。

《学ぶことの楽しさと意義を見つけよう!》

 あなたは高校卒業後、どうしますか?おそらく、ほとんどの人が大学への進学と答 えるでしょう。ところで、大学へは何をするために行くのでしょう?本当に大学で学びたいという意欲を持っていますか?大学へ進学するということは、何か学びたいものがあり、学ぶことに楽しさと意義を感じているということです。
 学ぶことの楽しさと意義を知り、学び続けたいと思える自分なりのテーマを見つけるために、発展科目での取り組みを是非活かしてほしいと思います。
 学びたいという意欲を持って大学進学を選んだ人は、受験勉強にも主体的に取り組んでいけることでしょう。高校での学習は、大学入試のためだけのものではありません。生涯にわたって自己を生かすための力を育てていってほしいと思います。

【発展科目開講講座表】

カテゴリー

前期

後期

備考

コミュニケーション

中国語入門

中国語入門

前後期同じ内容

TOEFL講座

TOEFL講座

前後期同じ内容

国際理解

時事英語

時事英語

前後期同じ内容

アジア学門

アジア学入門

前後期同じ内容

人間・文化

生命

人間とバランス

 

数学史

 日本語学

 

学園の母マリア

 消費者問題

 

情報科学

コンピュータと数値計算

コンピュータと数値計算

前後期同じ内容

表現・創作

        

表 現

通年開講

 

       創作版画実習

通年開講

      

CREATIVE WRITING

通年開講

現代社会

現代社会と女性

現代社会と女性

前後期同じ内容

性教育の目標(中高校共通)

1.からだ、いのちの主体者として育てる。
自分や異性のからだ、生理的変化、特徴を知りそれをプライバシーとして大切にする考え方を育てる。

2.生きる自信と自己肯定の感覚を育てる。
生命誕生、出生について理解し、自分のルーツを知ることによって人間や自分自身への自信を育てる。

3.自らの性的な成長を見通し、ジェンダーアイデンティティーを確立するとともに多様な性への理解をすすめる。
自己否定することなく自分としてもっとも安心していられるアイデンティティーを大切にする心を心を育てる。

4.対等平等な性関係、人間関係を創造するという意識を育てる。
人間の性の喜びを分かち合い、生きがいに結びつく人間関係をつくっていくものとしてとらえる価値観を育てる。

5.自律的な性行動、自己決定の考え方を育てる。
自分のとった行動がどのような結果をもたらす可能性があるのか、自分にとって相手にとって、そのからだ、こころ、人生にとってどんな影響をおよぼすのかを予見し、トラブルに巻き込んだり、巻き込まれたりしない考え方を育てる。

学校教育における性教育の位置づけ(中学高校共通)
性教育

知的学習面

教科

知的理解

保健・生物・社会・家庭

情操陶冶

国語・音楽・美術・書道

価値観形成

キリスト教倫理

体験的学習面

集団的指導

生徒会活動
学校行事
学級指導

個別指導

カウンセリング
生活指導
保健室指導

中学校指導内容 1年生 2年生 3年生

HR

活動

自分自身をよく知ろう


二次性徴と思春期
子供を産み育てる
容姿コンプレックス

女性と男性のかかわりを考えよう


性行為感染症
性の商品化
女と男の素敵なふれあい

女性と男性の豊かな人間関係目指して


避妊と人工妊娠中絶
セクシュアルハラスメント
芸術とポルノグラフィー
エイズとともに生きる
結婚の意義と家族
これからの私たち

聖ジュリーの日

聖ジュリーの生涯とその目指したもの・その精神の今日における実践のあり方。
思いやり体験、施設での奉仕活動体験

同和教育

人権・障害者・部落問題

宗教

学園の精神
心の清い愛の人とは

神の似姿である人間の使命
愛の教え

人間の尊厳
生命尊重

社会

人種問題

女性の法的地位

基本的人権
女性の地位と役割
両性の本質的平等

理科

動物の受精・植物の受精・有性生殖と無性生殖・遺伝・宇宙の中の人間

家庭

家庭生活(家庭の中での役割)

食物

保育

保健

二次性徴


性感染症
エイズ

高等学校指導内容 1年生 2年生 3年生

HR

活動

男女の人間関係の理解


@性器と成熟
A性欲と性行動
B性差と性役割

性と愛


@愛情・友情・恋愛
A男女の人間関係
B性交・避妊
C妊娠・人工妊娠中絶・出産
D子育てと労働

幸福な人生


@性解放と人権
A母性とフェニミズム
B性の不安と悩み
C性的自立
D同性愛と性自認

聖ジュリーの日

聖ジュリーの生涯とその目指したもの・その精神の今日における実践のあり方

同和教育

身近な差別

部落の歴史・差別の現状と認識

部落の現状と展望

キリスト教倫理

男女間の友情

人間の尊厳

恋愛・結婚・子女の育成

地歴公民

技術革新と人間の尊厳
人口問題
基本的人権

原始共同体における母系性社会
嫁取婚

両性の平等
近代における女性運動
現代の社会

生物

動植物の生殖
動物の発生
遺伝と変異
性決定のしくみ

ホルモンによる恒常性調節
動物の行動
動物の集団


保健

身体の年齢的変化
人間と性
欲求と適応

結婚と優性
家族計画
母子保健


家庭

家庭
家族
生活周期
女性差別撤廃条約

母性と結婚
育児と両性の責任
要求と適応
男女の性尊厳

母性栄養
母性健康

高等学校では、性教育委員会が中心になって、各教科以外にホームルームの時間に性教育の時間を設定している。従来は講演会や映画が中心であったが、現在では、各
HR担任が教室で指導している。高校3年間使う共通の教材として「ヒューマン・セクシュアリティー」(一橋出版)を使用している。
秋山繁治 1996年「性教育の日常的な実践と今後の課題」(清心中学校・清心高等学校紀要NO.12)



  また、神奈川県の鎌倉にある清泉女学院中学高等学校は、聖心侍女会を設立母体とする、カトリックの精神に基づく6年間一貫教育の女子校であり、現在「女子教育」について職員研修会などを実施している。21世紀に向けての女子教育のあり方を研究・模索中している清泉女学院のホームページに載せられた、我々へのメッセージを次に紹介する。

 新しい時代の女子教育のあり方について、外部のみなさんのご意見をお待ちしております。たとえば、21世紀にも女子校は存続するか。存続するなら、その存在意義は何か。共学の場合でも、対象が男子と女子では何らかの差があるのか。何が新しい時代の女子教育の特色となるかなど、女子教育ないしは女子校についてのご意見をご自由に書き込んでください。
 私たちの研修の参考にさせていただくとともに、ある程度まとまりましたら、何らかのかたちでフィードバックさせていただきます。短いメッセージは電子メールでお便りください。電子メールのあてさきは、forum@seisen-jsh.kamakura.kanagawa.jpです。


  同じく清泉女学院の教職員のページに紹介されている宗教教育の実践の中では、「『宗教』の授業も変わらなくっちゃ」と題された土屋至教諭の論文掲載されている。これは、本校の宗教教育と女子(性)教育の関係を考える上で多いに参考となろう。その一部を抜粋し、以下転載する。

目次に戻る


「宗教」の授業も変わらなくっちゃ    清泉女学院中高等学校倫理科土屋

1.生徒の意識の変容と「宗教」の授業

ここ1、2年の中学生と高校生の変容ぶりが激しい。中学生、高校生が大人の文化の物まねではない、独自の文化を主張しだしたという見方もできる。制服のミニスカート化、ルーズソックス、茶髪、ピアス、マニキュア、そしてプリントクラブ、かつてのように校則や厳しい生活指導では抑えきれないような巨大なエネルギーを感じる。自分たちにも意識できない突き上げてくる欲求のあらわれのようにも思われる。彼らはこれを通じて何を表現しようとしているのか。一過性の流行現象に過ぎないのであろうか。ものがあふれている大衆消費社会のなかに生まれ育ち、生徒の数が減ったにも関わらず、相変わらず続く激しい受験競争に否応なく巻き込まれていくなかで、確かに生徒の意識も変わってきた。その生徒の意識の変化に教育そのものが対応しきれない現状をみて、日本の未来に不安を抱く大人たちが少なくない。教育も大きく変わりつつある。いや変わらなければならない。
 そんな中で生徒たちがキリスト教に対して持っているイメージや宗教全体に対する感じ方も変わってきている。オウムの影響も大きい。一種の「宗教離れ」とも言うべき現象が起きつつある。カトリック学校において行われている「宗教」や「倫理」の授業に対してあるいは、宗教的な行事などに対して「なくてもいい」という意見がここ5年間で増えたことに危機感さえ抱いている。これはカトリック学校のアイデンティティに対する挑戦のようにも思える。とにかく旧来の宗教教育のやり方ではもはや通じないのである。宗教教育も大きく変わらなければならない。(中略)


2.授業実践を分かち合うネットワークが教師たちを支える

そういう宗教教育の現状を何とかしようとカトリック学校で「宗教」や「倫理」を教えている担当者が集まり、「宗教倫理担当者ワークショップ」を企画して今年で7回目を迎えた。のべ参加人数も100人を超え、中高のカトリック学校の半数近い学校からの担当者の参加をみるに至った。(中略)
 これまでのテーマは「聖書をどうとりあげるか」「愛と性を考える授業」「福音的価値観を伝える」「人間の尊厳を考える」というものであり、1997年は「イエス・キリストをどう教えるか」というテーマを予定している。(中略)

 今年はもう一歩進めようということで、「良い教材」や「授業実践例」を集めた「宗教教育データベース」を作ろうと企画している。幸い、私の学校はインタネットが自由に使えるので、これを使ったデータベースづくりができないかと模索中である。おそらくこれは学校現場だけでなく、福音宣教に携わる人たちにも、福音宣教そのものにも役立つのではないだろうか。(中略)


5.女たちのイエス

「イエスの嫌いなところ」をあげたときに「12人の弟子たちは皆男だった」というのがあった。また逆に「イエスの好きなところ」として「女性たちにやさしい」というのもあげられていた。ルカにはイエスには何人かの女性たちがつき従っていたという記述がある。その女性たちとイエスはどのように関わっていたのか、いくつかの福音書の箇所を読みながら考えることにした。対象は中学3年生である。

授業では先ず、次の4つの箇所をその中の共通点を意識しながら読むようにと指摘する。いずれもイエスと女性たちとの関わりを示す箇所である。

1)カナの婚宴        (ヨハネ2章1〜12節)

2)出血症を病む女       (マルコ5章25〜34節)

3)カナンの女         (マタイ15章21〜28節)

4)ラザロの復活のマルタ  (ヨハネ11章19〜41節)

読んだあと、生徒たちに「さてこの話の共通点は何か」と問いかける。生徒たちはおずおずと答える。

 「イエスが女性たちに冷たい」

 本当は女性にやさしいイエスのはずだが、これらはいずれもそうではない。(中略)

「それにしても、イエスはなぜこの女性にこんなに冷たかったのだろうか。これまでの伝統的な解釈はイエスはこの女性の信仰を試したのだというものだ。弟子たちや群衆にこの女性たちの信仰を誉め讃えることをつうじて、自分がイスラエルのためだけに来たのではないことを示されたのだという。でもイエスは人を試すということをされたのだろうか。この解釈には無理があるような気がしてならない。むしろイエスはこの時は本当に『自分はイスラエルの迷える羊のために遣わされた』と思っていた。イエスは正直にそのことをこの女に告げた。しかし、この異邦人の女性にイエスはハッと気づかされた。自分はイスラエルのためだけではなく、すべての人々の救いのために派遣されたのだと。この女性がイエスの考えを根本的に変えたという解釈が一番無理がないと思う。」

「実はこれらのイエスと女性たちの関わりの話にはタネ本がある。私はこの授業のヒントをユルゲン・モルトマン・ヴェンデルというフェミニズム聖書学者の『乳と蜜の流れる国』という本のなかから得た。君たちには少し難しいかもしれないけれど、図書館にあるから読んでごらん。私の聖書に対する見方を変えた本だ。この書は『女性の立場から聖書を読む』というフェミニズム聖書学を紹介している。フェミニズムというのは女性の権利を拡張するという思想だ。女性解放主義とか、女性主義とか訳される。この書の『女たちのイエス』というところにこれらの聖書の箇所について次のような記述がある。それを読んでみよう。」 この箇所は朗読したのを聞くだけでは中学3年生にはちょっと難しいので前もってプリントにしておいたものを配り、それを目で追いながら読むことにしている。

「これらの聖書の箇所に描かれているのはイエスのあとにただついていって彼に奉仕しただけの女性ではない。なんらかの形でイエスを変えさせた働きをしているのである。女たちは彼から何かをかち取る。救い、健康、生命、ぶどう酒、人間性を。そして彼女たちは何かをイエスに与えている。イエスとともにいくことによって、彼を彼たらしめる。あらゆる人間のための人間に。あらゆる孤独者のための慰め手になる孤独者に。あらゆるものに自己信頼を与え得る自己信頼者に。死へ赴きつつも決してひとりではない人間に。癒されるための人間の能動性がこの女性たちの中に現われている。人間が自分で引き出すそのパワーは、そのパワーの与えてその人に対してのパワーになる。自分に授かったその力は今度は他者にそそぎ込む信頼となる。まったき受容性とまったき能動性。」

 「イエスは女性たちにただやさしかっただけではない。イエスの救いの事業に、この女性たちの果たした役割が、12人の男の弟子たちの果たしたものよりずっと大きいのではないか。男の弟子たちはイエスが十字架につけられたときに皆恐くなって逃げ出したけれど、女性たちは最後まで十字架の下にいた。イエスが復活して最初に現れたのも、マグダラのマリアに対してであった。女性たちが虐げられていたこの時代にはこれはとてもすごいことだと思うのだ。」

 だいたいこのあたりで授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。生徒たちの表情は心なしか満足げである。そうだろう。女性たちの誇りを増すきわめて福音的な聖書の読み方ではある。(後略)



  こうしたホームページ上の実践交流の場は他にも見られる。愛知県名古屋市にある私立南山高等学校・南山中学校の女子部では、「南山女子部コンピューター委員会」を設置し、やはり学園のホームページ上に教職員のページを作っている。奥村説子教諭のページでは、中学2年生に対する女性学・性教育の実践報告が掲載すると共に、名古屋市女性海外派遣団員(スウエーデン・デンマーク視察)で結成された女性問題の学習会「クリスタルの会」とをインターネット上で結ぶ新たな取り組みを行っている。

  このように、全国の様々な女子校で着々と取り組みが進められている事実は、我々に今、何を議論し、行動すべきかを突きつけているとも言えよう。京都の私立中高協会には「性教育研究会」があり、「“人間と性”教育研究協議会京都サークル」とも連携しながら私学における性教育や女性問題の研究を行っている。しかし、本校からはこの会合に組織的・定期的に参加している教員はおらず、養護教諭が個人的に参加しているに過ぎない。それは、本校内に性教育や女性学に関わる課題を専門的かつ総合的に研究・実践する分掌や研究会が設置されていない、つまりは我々の意識の低さに起因している。


目次に戻る





(2) 本校における「性=女子」教育

@ 過去の経過と事例

  京都橘女子高校では、十数年前から家庭科・社会科・国語科・理科の教員が共同で授業プログラムや教材を開発しつつ「女性学」の講座を必修科目として据えてきた。その原動力となったものの一つには、京都橘女子大学でのジェンダーやフェミニズムに関する研究成果があり、6年前には「女性歴史文化研究所」が開設されるといった学園としての背景がある。同じ女子学園でありながら、女性学の講座は長らく外部の講師によってまかなわれ、再来年度ようやく現代社会学部の一部に女性学が位置づけられる本学園とは雲泥の差である。

  本校において、いわゆる「性教育」はどのように行われてきたか。医学的な要素を保健体育科の授業が受け持ち、生物学的な要素を理科の生物で触れ、女性のライフスタイルや保育に関する課題を家庭科が分担してきた。高等学校一年生に対して「性教育講演会」を催し、性に関わる諸問題や青少年に特徴的な性にまつわる危険について啓蒙してきた。

  10数年前には、同和教育研究委員会が、複数の教科の教員に呼びかけ「女子教育懇談会」を立ち上げようとしたこともあった。しかし、その取り組みは継続せず、職員会議や全校教研のようなオープンな場で、性にまつわる論議は一切為されてこなかった。それは、エイズに社会が揺れ動いた時期においてさえもである。様々な性的被害や性差別に遭いやすい女生徒を教育する女子校でありながら、学校規模での具体的な「指導」はせいぜい痴漢に対する対応程度ではないだろうか。

  かつて、「生活指導」の対象となった生徒が、異性との性的な関わりを持ち、性病に感染していることが保健室で判明した。その時も、その生徒のプライバシーの保護に重きが置かれ、性にまつわる危険は「個人的な問題」として処理された。本校の全生徒に関わる学校教育の課題と議論されることが避けられたとも言えよう。そうした事例が明らかになる中で、性教育に関わる取り組みの必要性が次第に認識され、講演会等が企画されていったにせよ、正面から議論することを躊躇し、あるいは切り口を見出せぬまま足踏みしてきたことが、その後の様々な課題への対処に困難をもたらしている。

  それは、校内での盗難がきっかけで、数10万円もするようなブランド品を身につけていた生徒が発覚し、それに「援助交際」の疑いを向ける教師がいながら、学校としての課題に据えられることもなく行き過ぎていることにもつながっていよう。ましてや、昨年度の性教育講演会で、産婦人科医の講師が「マサコさまがインターセックスでありその診察を当院で行った」などと、その真偽のいかんに関わらずプライバシーを無視した講演をしたことが、職員会議で問題にすらされないのは、人権意識の鈍磨、あるいは性をタブーとする保守性そのものといえはしまいか。

  私自身、10数年前、一人の生徒から「私立男子高校生と性的関係を結び妊娠し、苦しみ悩んだ。父親には内緒で母親に付き添われて産婦人科で人工妊娠中絶の手術をした」と告白されたことがある。相手の男子生徒にはそれ以降関係を絶たれ、「命」を殺してしまったことへの自責の念と、好きな男の子に捨てられてしまった孤独との二重の苦しみの中で彼女は傷つき荒れていた。父親に隠し事をすることとなった母親もまた、別の意味で二重の苦しみを抱えることとなった。個人的に、その母子をわずかに支えることはできた。しかし、それを担任や学年団と共に、彼女をフォローする体制を作ることはできなかった。当時、自ら生徒部に所属しながら、生活指導係に課題として提示することをためらったのは、当該生徒との口外しないという約束があったからばかりでなく、こうした性にまつわる問題を、本校としてどう捕えるかというバックグランドがなかったためでもある。

  また、中学から高校へと内部進学させた生徒同士が互いに惹かれ合い、校内でもセクシュアルな関係を結んでいた。そのことを知って混乱した母親が私に相談を持ち掛けてきたこともあった。母親は娘の性的指向を許容できず、娘を異常と決め付け対処のすべを知らなかった。そうした母親の無理解に耐え兼ねた娘は家出をした。行くあてもない彼女は、夜更けた街角からかつての担任であった私に電話をしてきた。彼女とは長々と話をした末、家に送り届け、母親には求めに応じてカウンセラーを紹介し、一応の区切りはついた。しかし、彼女がその後校内でどのように受け止められ、卒業後どのように暮らしているかについて、私は知らない。そして、現在も校内でセクシュアルな関係を持ち合っている幾人かの生徒に対して、我々は、なお遠巻きに眺め囁き合っているに過ぎない。

  女子校内で「同性愛」が存在するなどということは恥ずべき事、知られてはならないタブーという意識が、本校の教職員の一部にも確実にある。同時に、その存在を頭では理解していても、それにどのように対応し得るのか、その手立てを持たぬ教職員も多い。

  避妊やエイズ予防などの性行動にまつわる具体的な指導。就職や結婚・離婚に関連する経済的・法的な知識の提供。人権として尊重されるべき性的指向性やジェンダーに関わる事実に即した情報提供・正確な認識の育成。性的マイノリティをも受容し得る包容力や性をも含んだ人間の生き方の多様性を受容できる柔軟性の開発。不当な差別や支配に対して戦い、社会の中でのリーダー足り得るに必要な視点や方法論の学習。そうした「教育プログラム」を学校として持ち得ていないのが本校の現状である。

目次に戻る





A 本校の可能性


  これまで述べてきたような課題に対応する教育プログラムは、文部省の示す指導要領に具体的に明記されているわけでもなく、複数の教科にまたがる課題として設定されてもいない。※20

  しかし、未だ平等社会が実現しておらず、女性というジェンダーや性的立場に関わる諸問題が確固として内在している現代日本において、本校が共学校への転換を求めず、「女子校」としての存立意義を見出そうとするならば、本校においてこそ先進的かつ前衛的に開発されるべき教育が求められても不思議はない。なぜなら、それは本校の「建学の精神」とも密接に関わる課題として認識されるべき性質のものだからである。

  女子の高等教育の道が閉ざされていた明治期に、甲斐夫妻が本校の基礎となる女学校を設立した経過は「京都女子学園八十年史」にも詳しい。建学の精神については、様々な立場から議論される幅を持ったものであろうが、少なくともそれが各時代の女性の自立を支えるべく機能してきたことは間違いなかろう。現在、本校が京都という一地域の中で、「有名大学」に多数の進学者を輩出しているという事実も、この建学の精神の具現化された事象の一つである。

  また同時に、建学の精神が仏教精神と不可分であるという側面も、無視することのできない事実である。特に親鸞が乗り越えてきた様々な時代や意識の壁を顧る時、今問題にしている性的マイノリティや女性に関わる課題が、我々が正面から見据えるべき課題であるということが再認識される。

  釈尊は本来悟りを開くのに男女の差はないと説いたとされている。しかし、『マヌ法典』では、「婦人は幼にしてはその父に、若き時はその夫に、夫死したる時はその子息に従うべし。婦人は決して独立を享受すべからず」とされた。それを受けた後世の仏教教団は「五障三従の女人」として、女性は仏にもなれず、世間的にも出世間的にも指導者になれないとした。

  しかし、大乗仏教では『法華経』や『大阿弥陀経』にあるように、「変成男子」(へんじょうなんし)、すなわち本願力によって女性は男性に転じて往生成仏できるとした。親鸞は、この変成男子を女人成仏と受け止め、さらに進んで「男女老少をえらばず」といい、阿弥陀如来の本願は、性別に関わらず等しく救済されると説いた。※21

  この親鸞の解釈と精神を、今日的な課題に対する処方として受け止める時、本校が、女子教育の柱として女性解放と、様々なマイノリティに対する支援を積極的に推し進めるべき位置に立っていることを確信せざるを得ない。そうした点で、本学園の「宗教・文化研究所」の「国際バイオエシックス研究センター」の取り組みは、我々の教育プログラムを構築していく上で、極めて重要な役割を果たす可能性を持っている。

  「国際バイオエシックス研究センターニューズレター第31号1999年冬」(1999年1月20日発行)には、産婦人科医であり研究所の専任研究員である星野一正教授が、「性のゆらぎ性に悩む人のQOL」と題して、性的マイノリティ、とりわけトランスセクシュアルの人々のQOL(QualityOf Life=生活・生命の質)についての考察を載せている。更に、星野教授により1999年2月28日には本学園で「性転換手術で救われた二人の物語バイオエシックスの見地からQOLを考える」と題して、MTFの坂本氏とFTMの虎井氏を招き公開講演会が企画されている。こうした学園内の取り組みを、中高校にもリンクしていける体制を学内に意識的に作っていくことが、当面の課題の一つである。

  共学化の波の中で「女子の有名進学校」をのみ追い求めつづけようとすることは、二流の進学校たり得ても一流の女子校たり得ない。しかし、現状のままでは、本校のアイデンティティを喪失しかねぬ危機に直面しよう。危機とは、外圧ではなく、内部崩壊・空洞化である。今回の学校像委員会によって提起されるであろう学校像の議論や、新カリキュラムの討議において、「女子校」としてのアイデンティティが語られなかったとすれば、本校の未来は暗澹たるものとなりかねない。

※19 参考文献

「岩波講座5 現代の教育危機と改革共生の教育」 U教育のなかの差別と共生2ジェンダーと教育  松井真知子

※20 参考文献

村瀬幸治「21世紀性と性教育のゆくえ」大月書店

※21 「浄土真宗聖典(註釈版)」 浄土真宗本願寺派聖典編纂所編 「14 女人・根欠・五障三従」の項参照

目次に戻る





(3) 具体的かつ即物的な問題提起

  教育において、理念は欠くべからざるものであるが、その理念を明確にし、実践に結び付けていく手立てを持たねば、単なる一般論・観念論・抽象論に終始し、何らの教育効果をも上げることはできない。我々は、評論家でも行政担当者でもなく、教育の実践者であり生徒や親と共に何ほどかのものを生み出していく創造の主体である。そうであればこそ、女子教育の課題を、わけても性にまつわる問題を点検し、それぞれの課題に対する判断を下していくことは、我々にとって不可避である。そこで、これまで述べてきたことを背景に、以下、課題の一部を羅列的に提起し、この小論の結びとしたい。



目次に戻る

おわりに

  馴染みにくいテーマであるにもかかわらず、最後まで目を通してくださった皆さんに深く感謝する。本稿のテーマや提起に少しでも関心を持ってくださった方からのご批評やご意見をぜひ賜りたい。これを契機に、今後の本校、いや全国の女子校での教育運動と、性的マイノリティの認知と理解を進める運動について共に議論を尽くしたい。

  今後の学内での議論に資するため、次の三点の参考資料を添付する。
  「参考資料1」として、性同一性障害やトランスセクシュアルに関する理解を深めるために「TSとTGを支える人々の会」のホームページ掲載の「TSとTGに関するFAQ―素朴な疑問編―」を転載させていただく。
  「参考資料2」として、ジェンダーやセクシュアリティ、性的マイノリティや性教育に関して私が参考にしたインターネットのホームページのアドレスリストを示す。
  「参考資料3」として、本稿の基礎資料としたジェンダー関連の書籍リストを示す。

最後に、快く用語集や資料を提供して下さった「TSとTGを支える人々の会」に深く感謝すると共に、今後の会の運動の発展を心から願う。


目次に戻る





〈参考資料1〉

「TSとTGに関するFAQ―素朴な疑問編―」


目次に戻る




参考資料2

性的マイノリティ及び性教育関連ホームページリスト(※1999年3月現在。 以降削除あるいは移転されたページあり。)

「Trans-Net JapanTSとTGを支える人々の会」
http://www.geocities.com/HotSprings/Villa/7797/home.htm

「JGL(Japanese Lesbian,Gay and Bi-sexual) Home-page Links」
http://www.os.rim.or.jp/~teebow/jgl/

「New Trans Gender Cafe Gold」
http://www.netlaputa.or.jp/~mike/ntgc/trancont2.html

「HIP’s Home Page」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hibino/Start.html

「G−FRONT関西」
http://www.kcn.or.jp/~gid/index.html

「プロジェクトP」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hibino/grope/ProjectP/index.html

「PESFIS」(Peer Support for Intersexuals)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hibino/grope/pesfis/pesfis.html

「トランスジェンダー・ブランチ」
http://www.kcn.or.jp/~gid/G-FRONT/tg.html

「FTM日本」
http://www.netlaputa.or.jp/~mike/ntgc/t-ftmnippon.html

「Fairy Links2」
http://www.fairy.net/Link2.htm

「EON/W」
http://www.netlaputa.or.jp/~eonw/

「Trans Sexual Forum in Japan」
http://www.kiwi.ne.jp/~hina/ts-forum/

「からあげ丸のホームページ」
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/9271/index.html

「Lesbian Gay Network Homepage」
http://www.bekkoame.ne.jp/~handson2/LGN/index.html

「すこたん企画」
http://plaza26.mbn.or.jp/~sukotan/

「NEWHALF NET」
http://www.newhalf.com/

「ジェンダー&セクシュアリティML」
http://plaza5.mbn.or.jp/~aurora/gender.html

「“人間と性”教育研究協議会京都サークル」
http://member.nifty.ne.jp/human/

「ゆうこせんせの保健室」
http://www.planet.ne.jp/yukomk/

「総理府男女共同参画室ジェンダーインフォメーション」
http://www/sorifu.go.jp/danjyo/index-j.html

「VOWWW(voice of Women Wide Web)」
http://www.jca.ax.apc.org/wssj/

「WINGS KYOTO(ウィングス京都)」
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/wings262/

「愛知県女性総合センター」
http://www.pref.aichi.jp/joseicenter/

「クリスタルの会・女性情報」
http://www.ocngate.nanzan-u.ac.jp/JOSHIBU/crys.html

「K-12 from Japan(インターネットと教育)大阪教育大学」
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/educ/

「北海道立教育研究所」
http://www.ipec.pref.hokkaido.jp/~doken/index01.html

「清心中学校・清心女子高等学校」
http://www.nd-seisin.ac.jp/

「清泉女学院」
http://210.226.155.115/index.html

「南山高等学校・南山中学校女子部」
http://www.ocngate.nanzan-u.ac.jp/JOSHIBU/index.html



目次に戻る