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左手に本を持って闘え

闘いはここから

2004年1月29日校了

33年間勤めた学校を去るべき春に、図書館発行の「読書便り」の原稿をまた依頼されました。

思うところがあって、思うところをつれづれなるままに書き留めました。

「読書便り」を読んで下さった何人もの方から、中にはこれまでほとんど話したことのなかった方からも声を掛けて頂きました。

サイレントマジョリティの存在に、改めて気付かされる機会となりました。

よければ声を聞いて下さい。

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左手に本を持って闘え


今は昔、一人の教養深い国語の先生がいらっしゃって、職員室のよもやま話に次の詩を紹介して下さいました。

    黒 板    高見順

  病室の窓の
  白いカーテンに
  午後の日がさして
  教室のようだ
  中学生の時分
  私の好きだった若い英語の教師が
  黒板消しでチョークの字を
  きれいに消して
  リーダーを小脇に
  午後の日を肩さきに受けて
  じゃ諸君と教室を出て行った
  ちょうどあのように
  私も人生を去りたい
  すべてをさっと消して
  じゃ諸君と言って

        『死の淵より』 講談社文芸文庫より

「こういう格好良さに憧れないか」とおっしゃったその先生は、ある日を限りに「じゃ諸君」の一言もなく忽然と姿を消され、それから再びお会いすることはありません。わたしの手元には、その先生が下さった文語訳の『新約聖書』が残されているばかりです。

そんな折「学校案内」に載せる国語科紹介の文章を書けと言われました。今いる少女たちと何をどう学んできたのか。これからやってくる少女たちに何をどう伝えることが国語の授業案内になるのか。思案してなんとか思いを綴ったのですが、学校案内にはふさわしくないということでボツになりました。それが次の文章です。

■ 闇を見つめる目よ育て

「女坂」と呼ばれる坂の半ばにある校門をくぐり、四階の講堂の入り口に立ったあなたをそっと迎える小さなブロンズ像がある。『未完の女(ひと)』と題されたその像は、事故で命を落とし卒業の日を迎えられなかった少女の父母が、娘の死を悼み、ここで学ぶすべての少女たちの健やかな成長を願って贈られたもの。

彼女は去り行く過去を手繰り寄せ、見えぬ不思議を目にすることのせつなさを、あなたに黙って語りはじめる。

        ◇

目の前にあるものだけがすべてなら、その人たちに言葉はいらない。離れた人の心を引き寄せ、去り行く過去を手繰り寄せ、見えぬ不思議を形にしたいと願う切なさが、人に言葉を求めさせた。

言霊を信じた記紀万葉の人々が、神に願いをかなえてもらおうと捧げた美しい祈りの言葉は、やがて幾多の歌となり物語を紡いだ。

死の淵に立つ日も知らぬ欲望は、生の限りに輝かす、闇に灯った命の明滅。無常の川を遡る小舟の行く手に瞬いた、恋の炎の美しさ。

春霞む時の流れにこぎ出でた慣れぬ小舟の櫓に手を添える旅のお供が、古典の教師。

        ◇

小舟を降り立つ闇の岸辺で、一人の少女がポツリとつぶやく。

「最近、私なんのために生まれて来たのか、何のために生きて行くのか分からなくなってきた」

光は決して闇の速度を越えられず、ヘッドライトが照らすのは逃げ去った闇の抜け殻。遠くから眺めていたものは虚像でしかなく、本質をつかみたければ自分の足で闇に分け入るほかはない。

闘うつもりはなかったのに、気付いた時にはリングに立っていた。勝手に付けられたリングネームは「自我」だった。ゴングの鳴るのも知らず繰り出したパンチに舞ったのは、血でも汗でも涙でもなく湿った黴臭さ。その匂いを吸い込んだ時、相手の名が「常識」だと悟った。

コミュニケーションは沈黙を恐れた二人の間を言葉の泡で埋めることではなく、論理は人々を世間の枠に繋ぎとめる鎖ではなかった。孤独は冷たい沈黙ではなく、思策と表現の最も親密な友だった。

文学は、書き割りの自由の部屋に置かれた常識の安楽イスから身を起こし、泡の言葉で群がる人間関係を断ち切り、語るべき自分を探し続けた人間の苦闘の足跡だった。

自分の足跡を記す闘いに挑むあなたのセコンドが、現代文の教師。



そんな思いを抱きつつ授業をしていたある日の午後、消しようのない三つの言葉が黒板に浮かんできました。「震災 戦争 スーパーインフレ」……これは暮らしの根底を付き崩す社会の危機の啓示か。

そしてその数か月後の2011年3月11日、あの東日本大震災と福島原発事故が起き、それから三年、近隣諸国と領土をめぐる争いが浮上し、政府は「改革」の名の下に強い経済競争力を持つ戦争のできる国造り、新富国強兵政策を推し進め始めました。

数年の内に物価が急激に上がってお札が紙切れ同然になり、せっかく溜めた預金も価値を失う。社会の不安と混乱の中、思いも寄らないきっかけであの国との戦争が始まる。そしてこの女子校はあの時と同じように軍国少女を育て、愛国の母を支える場となり果てる。

そんなシナリオが妄想だと思う人は、政府が絶対安全と信じ込ませてきた原発事故を、今なお数十万人が避難生活をしている現状をどう説明するのか。日本が負けることはありえないと教えられた戦争の果ての原爆投下、国民全員が豊かな生活を手に入れるはずだった高度経済成長の影に隠された公害病や炭鉱の閉山。あの時代と同じことを繰り返さないために、自分はどうするべきなのか。

何年もかけて、その問いに対する僕の答えを出しました。それは、この大きな宇宙にあってこの地上の命はあまりに小さく、しかも限りなく愛おしい存在であることを実感し合う場を作ること。この世の多様なマイノリティ(何の罪もないのに社会の片隅に追いやられたり、存在を否定されがちな人々)とサイレント・マジョリティ(思いはあっても声を上げずに服従している多くの人々)が繋がる場を作ること。多様な自然と文化を尊重しつつ、その人なりの楽しく元気な暮らし方を見出す場を作ることです。

遠回りのように見えてもそれこそが、利益を貪ろうとする一部の人間が人々に銃を向けて支配しようとすることを阻む確実な道筋だと確信したのです。そして三年前からその場を屋久島に作り始めました。

四月にはバリアフリーコテージ&スパイシーブックカフェのオヤジとして屋久島六角堂に立っています。カフェの本棚には“SeiとShi”をテーマにした4500冊以上の本が並んでいます。その中には京女の図書館で廃棄処分された本も身を寄せています。その一冊一冊の本と一枚一枚手焼きで作るスパイシーホットサンドが僕の闘いの武器です。

話が長くなりました。そろそろ黒板を拭う時が来たようです。

じゃ諸君。

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