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N351  子どもの権利・戦争
紹介記事目録
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記事紹介の留意事項





京都
2003/03/28
No .N351k040328xxx
イスラエル




シリーズ・特集; http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2004mar/28/CN2004032801002926J1Z10.html
見出し:
自爆テロ、進む低年齢化/イスラエルは広報戦略
メモ :
【エルサレム28日共同】
パレスチナ過激派が、知的障害があるとみられる16歳の少年に自爆テロを実行させようとするなど、自爆テロ犯の低年齢化が進んでいる。イスラエル政府はこうした現象をメディアに積極的に広報する戦略をとり、過激派非難に躍起だ。

イスラエル軍の統計によると、パレスチナ紛争が激化した2000年秋以降、18歳未満の少年による自爆テロは29件。実行前に逮捕された少年も40人を超える。

2004年3月24日には、ヨルダン川西岸ナブルス近郊で少年(16)が自爆テロ未遂で一時拘束された。事件当時、14歳と報道された少年は検問所の軍兵士に制止され、身に着けた爆弾を取り外す一部始終がテレビで放映され、大きな波紋を呼んだ。

少年は、過激派組織から100シェケル(約2300円)の報酬で依頼を受けたとされ、イスラエル紙の取材に「学校で先生に『いいことをすれば天国に行ける』と教わった」と話した。

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朝日
2002/01/15
朝刊 7
No .N351a020115m7




(木村文)
シリーズ・特集;
見出し:
売られる子ども1万人/ネパールからインドへ/9・10歳、売春宿に/偏見の目、帰れぬ故郷
メモ :
ガンガちゃんは10万ルピー(約29万円)、マニシュちゃんは8万ルビー(約23万円)。ネパールからインドへ、毎年1万人以上の子どもが売られていく。行き先多くが売春宿だ。ネパールで2002年1月上旬に開かれた南アジア地域協力連合(SAARC)の首脳会議は、女性や子どもの人身売買を防ぐ協定に調印。ようやく地域としての取り組みが始まったが、問題の根は深い

「朝4時ごろまで、毎日8人から10人の相手をした」。ネパールの首都カトマンズに住むアルナさん(19)は、インド・ムンバイ(ボンベイ)の売春宿の日々をそう振り返る。「チップの取り方が少ない」と怒られ、逃げようとした子がたばこの火を押し付けられるの見た。「恐ろしくて、悲しむ余裕すらなかった」と言う。

12歳でネパール西部の村を出て、カーペット工場で働いた。父はわずかな畑を耕していた。母は弟を生んで亡くなった。貧しさと赤ん坊の世話で学校には行けなかった。工場では1日20時間働かされた。職場の男性に「もっと稼げる工場を知っている」と言われ、ムンバイへ。売春宿に置き去りにされた。

1年ほど過ぎた1996年、人身売買と闘う非政府組織とインド警察が売春宿に踏み込み、484人の少女を保護した。このうち、238人がネパール人。アルナさんも救い出された。売春の過去に対する世間の目を知る少女たちは、誰も故郷に帰りたがらなかったと言う。

人身売買問題に詳しいNGOの関係者によると、インドの売春害には15万〜20万人のネパール女性がいるという。世界最大規模、60万〜70万人の売春婦がいると言われるムンバイに、特に集中する。

ネパール女性の2割は10代前半とされるが、正確な統計はない。低年齢化が進み、「実際は4割」との見方もある。低年齢化に拍車をかけたのは1980年代後半のエイズの流行だった。9、10歳の子どもが送り込まれる。売春害では「子どもとセックスすればエイズが治る」といった迷信までささやかれている。

運良く売春街を逃げ出せても、「エイズを持ち込む」と言われ、故郷や家に戻れない。社会復帰も深刻な問題だ。


■ 保護や救出へ戦うNGO

 国境で検問「親子ですか」
「売人がつかまっても保釈金が出てすぐ釈放。世間の目や報復が怖くて、女性は訴えない。その悪循環よ」。カトマンズ郊外で人身売買問題に取り組む女性団体のデビ・アディカリ代表が憤る。売人を警察に突き出そうとしたら、政治化から圧力がかかったこともあったわ。これじゃ、売買がなくなるわけがない」

トラックやリキシャがほこりを立てて行き交うインド国境の町バイラワの検問所。NGOのマイティネパールは2年前、水色の小屋を断て、監視係を置いた。自分たちで人身売買を見つけて阻止する。実力行使だ。「親子ですか」。子ども連れが通るたびに呼びとめ、身分証明書の提示を求める。監視係のカマラ・チョーダさん(19)は1年前、売られそうになって小屋に駆け込んだ。その後、被害者だからこそ売人がわかる、とこの役を買って出た。

隣に警察案が常駐しているが、陰で売人に脅されることもある。「でもこのお蔭で私は助かった。やめるつもりはない」。このNGOは、国境の9ヶ所に監視係を置き、2001年だけで300人以上を救った。

アルナさんも、同じ立場の少女7人と共に、カトマンズでNGOを立ち上げた。カーペット工場や低所得者地区を訪れ、子どもや親に紙芝居で売春の手口を教えている。原則として、自分の体験だとは言わない。隠したいのではない。「売春宿にいた」と言えば、大人が顔をそむけるからだ。世間はまだ、被害者も加害者のように扱う。

「売春はつらい経験だった。それを力に変えていこうと立ち上がった。私たちのような子どもを一人でも減らすために」

アルナさんは今、就学できなかった子どもを受け入れるNGO運営の学校で勉強している。あと2年して学業を終えたら、故郷の村にも活動を広げたいと考えている。

南アジアの人身売買  バングラデシュ  パキスタン   スリランカからは中東へ

国際労働機関(ILO)などによると、ネパールでは毎年1万200人の子どもが「売買」される。多くがインドでの売春目的だ。
このほか、バングラデシュ、パキスタン、スリランカの子どもや女性は主に中東に売られる。

バングラデシュのNGOによると、毎月200〜400人が国外に連れ出される。過去20年間に約20万人の女性が売られたという調査もある。
売春のほか、工場での労働のために買われる少年も多い。

2002年1月6日に開幕した南アジア地域協力連合の首脳会議は、「女性と子どもの売春目的の人身売買防止協定」に調印した。
しかしNGOは、人身売買の目的が性的搾取以外にも広がっていることや、インドなど「需要側」の責任や義務が明確ではないことなど、、協定の問題点を指摘している。

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朝日
2001/10/01
夕刊 11
No .N351e011001e11
アフガニスタン/カラフガン


18
北部同盟軍/アブドル・バシール
シリーズ・特集;
見出し:
父と兄失い18歳は銃構えた/北部同盟軍の最前線ルポ/14歳から戦闘「学校行きたかった」
メモ :
アフガニスタンの北部同盟軍は朝日新聞とスペイン、イタリアのメディア3社にファイザバードの西約100キロのカラフガンの前線取材を許可した。2001年9月29日、高度千数百メートルのタロカン山脈の最前線には少年兵の姿があった。

戦車の横で旧式のソ連製カラシニコフ銃を構えていたのは、まだあどけなさの残る18才のアブドル・バシール君だった。4年前、タロカン近郊の生まれ故郷にタリバーン軍がきて、市場で店を開いていた父と兄2人を殺した。復しゅうを誓い、14歳で志願兵となり、ここに配置されたという。

故郷には母と4人の妹がいるが、事件以来一度も会っていない。米軍のタリバーン攻撃を期待するが、都市を空爆する可能性を指摘すると急に暗い顔になって「心配だ」とつぶやいた。

「毎日のように戦っていると、自分の将来に希望が持てなくなる。(小麦や米で支給される)軍の給料では家族を養えない。死んでしまいたいとよく思う。もし平和でチャンスがあれば、学校に行ってみたかった」

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読売
2000/12/18
夕刊
No .N351y001218e8-1
世界




シリーズ・特集;インターネット探訪/遊歩人
見出し:
飢餓を減らす/一日一回小さな協力
メモ :
1999年6月にアメリカのインディアナ州の民間人が始め、現在は「グレーター・グッド・ドット・コム」が引き継いでいるた「ハンガー・サイト」というホームページを開くと、「3.6秒ごとに、だれかが飢餓で亡くなっています。

その75%は子どもです」という言葉が現れる。その下の世界地図には3.6秒ごとに黒く点滅する。飢餓で亡くなった人の声亡きサインだ。

「ここをクリックして」という黄色のボタンをクリックすると、「ありがとうございます。ご寄付により、植えた人に主食を差し上げます」と英文が掲載される。仕組みは簡単だ。

このボタンを一回クリックしたことで、ページに広告を載せている企業から0.5セント(約0.55円)の寄付が送られるようになっている。広告主にとっては、「ハンガー・サイト」に協賛することによって、企業のイメージを高める事ができ、ここを入り口に自社のホームページものぞいてもらいやすくなる。インターネットを「探訪」する人にとっても、アクセスするだけで飢餓の撲滅へ小さな協力ができる。平日では1日平均25万人がクリックし、それが約20トンの食料となる。

ニューヨークに本部を置く「ハンガープロジェクト」では、食料増産、家族計画、栄養、健康、教育」の責任を多く負っている女性への力付けを重点にし、女性への職業訓練や農業指導、教育などの機会を作り、地域のリーダーを育てている。

「日本国際飢餓対策機構」では、エチオピアに拠点を設け、食料と医療の支援をしている。

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