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  ウイングス京都という女性センターのワークショップに参加したとき、ある講師の先生から「性という言葉を聞いてイメージすることを、なんでもいいから思い浮かべてください」と指示されました。あなたなら、なんと答えますか?私は「楽しいけれど、ちょっと面倒なもの」と答えました。

  学校という場でも、「性」は、未だに保健・家庭科・生物といった領域の一部であるか、道徳や生活指導の一貫として、規制の対象にされがちです。でなければ、スカートとズボンで人間を強制的に2種類に振り分ける残酷さに気付かないほど鈍感なままです。

  年配の方の中には、マスコミが作った1960年代のフリー・セックスやウーマン・リブの悪いイメージを引きずっていて、性の解放に対する誤解や嫌悪感を抱いたままの方もいらっしゃるでしょう。

  「性」との向き合い方に、その人の生き方や社会のあり方があらわになります。「らしさ」や「生殖」や「宗教」の枠組みに縛られていることが、知らず知らずに人を傷付け、どれほど自分自身をも不自由にしていることか。

  猥談でもゴシップでもセク・ハラでもなく、誰もが「性」を自然に語り合えるようにする。そのことが、一人一人の人格や人権をもっと大切にできる世の中を作ることにつながるのだと思います。
とりあえず性と人権の棚≠ヨどうぞ

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