30 years with Mira TR-XX
大きくなった「新規格」ミラについて(デビュー当時の雑誌記事を見てみる) ******

 別のページで「ミラの歴史」を書かせていただきましたが、L200Sのミラについて、もう少し詳しく、その成り立ちを追ってみました。
 残念ながら手元にはあまり当時の古文書を持ち合わせていないのですが、幸いなことに図書館の書庫に雑誌のバックナンバーがいくつか保管されていて、ちょうど軽自動車が新規格となった時期にフルモデルチェンジをしたので、当時の資料が他の車と比べると手に入りやすいのでした。


 「新規格」といっても20年前の話です。



 20年前というと、テレビだと必ずミニスカートで羽根扇子持ってくねくねしてるお姉ちゃんの映像が出てきそうなんですが・・・・当時の雑誌でも広告なんかはそんな雰囲気がありますね。わんれん、ぼでぃこん、肩パッド(死語?)みたいな。


 そんな時代の1990年、軽自動車の規格が変更となり、排気量が550ccから660ccへ、全長が3.2mから3.3mと拡大されました。それ以前の規格変更は1976年。360ccから拡大されてから14年間550ccの時代が続いたのでした。
 その規格変更に対し、各メーカーはマイナーチェンジで対応することとなったのでした。スズキのアルト、スバルレックスはバンパーとボンネットの拡大で対応、三菱ミニカはリアクォーターを70mm延長する「ビッグマイナーチェンジ」、ホンダのトゥデイはバンパー・ボンネットとテールゲートを新デザインとして、各社とも10cmの延長に対応したのでした。
 それに対し、ミラはフルモデルチェンジを行ったことから、当時の雑誌に大きく取り上げられることとなりました。とりわけ、「モーターファン誌」(今は「別冊」の「○○のすべて」みたいなのが残っていますが・・)にはかなりのページ数を割いて取り上げてもらっています。そのため、開発当時の様子がわかるのは、ミラ乗りにとってはありがたいことです。


 そんなミラですが、もともとは旧規格を前提に開発が進められていました。スペース最優先から脱却したコンセプトのもと、L70の直線的なテールゲートと比べ、横方向に丸みを帯びたテールゲートが採用された1次試作車が作られたのでした。
 ところが、その試作車完成の後に新規格の情報が入ってきたため、改めて設計変更がされることとなったのです。100mmの全長延長については、前後バンパーで50mm、ボンネット30mm、キャビン20mm、ホイールベースは30mmと、全体的に拡大させることとなりました。一方で、安全性を増やす狙いから、バンパー面から前席まで54mm、後席までは81mm延長され、室内空間が少しタイトになったのでした。


 初代から2代目へと、トールボーイ・台形シルエットのスタイルが継承されていたのですが、3代目も「一目でミラとわかるスタイル」「キープコンセプト型のモデルチェンジの中でも、これほどまでにデザインイメージを受け継いだ例はかつてない」と評されていたところです。これはどうやら結果としてそうなってしまったようで、「3代続けて同じイメージを持たせた車がどう評価されるか興味深い」旨の記事もあったのですが、結果として、そのあとの500系、700系もやはり「一目でミラとわかるスタイル」であり、これは当時としては大成功であったのかな、と、個人的には思うのでした。


 エンジンは、シリンダーブロック、ヘッド周り、ピストン、クランクシャフトなどの主要部品はすべて新しく設計しなおすこととなりました。直列3気筒はそのままに、ボアを62mmから68mmに拡大して、総排気量を659ccとしたものです。カムは1本ですが、4バルブ方式として給排気効率を向上。EFIターボエンジンは、「自主規制」64psはそのままですが、最大トルクを7.7kgmから9.4kgmと22%アップ、中低域のゆとりを増して扱いやすいエンジンとしたようです。


 エンジンは直接ボディに取り付けるのではなく、サブフレームを設け、大径のエンジンマウントで取り付けることで、2重に防振を図っています。


 ボディ設計では、コンピュータ解析(当時「有限要素法(FEM)」と呼んでいた。今じゃ当たり前なのかもしれませんが)を用い、フロントドア下部のトルクボックス、サイドシルなどに補強部材を適切に配置し、曲げ、ねじり剛性ともにそれぞれ50%向上させています。また、厚さ1.2mmの鋼板を加工したサイドインパクトビームをドアに装備し、サイド衝撃に対応させています。
 また、屋根を除いた外板はすべて防錆鋼板を採用。腐食防止により長期間の使用に耐えるようにされています。確かに自分のを見ると、外板には錆がぜんぜん出ていません。


* * * * 


 こうして登場したL200系ミラ。1992年のマイナーチェンジを経て、1994年にL500系ミラへとバトンタッチされるまで、約4年製造されることとなったのでした。

 その登場時は、トルクも厚く、上まできちんと回ると評されていたミラのエンジンですが、セルボモードやビビオなどのツインカムエンジン勢が次々と登場してきて、だんだん劣勢に立たされます。ミラのツインカムターボは、次のL502Sで搭載されることとなるのですが、94年度の「Kカースペシャル・パーツマニュアル」では、「ツインカムの台頭によってシングルカムのEF型では、つらい面が隠しきれない」と書かれていますし、500系が登場したときの「Kカースペシャル ミラ専科」では、木下隆之氏が次のようにレポートしていたのでした。

 当時、Kスペのテスト記事をみて悔しい思いをしていたミラ乗りの気持ちを表したと思われるこの文章が、L200Sミラターボのことをまさに言い得ているなぁ、と感じるのでした。




 「ずいぶん長い沈黙だった。
 ここ数年の、Kカー最速バトルを振り返ってみる。すると、ミラは常にマイペースのスタンスを保ち続けていたことに気付く。筑波サーキット最速をかけたKカーバトルにもあまり積極的とは言えなかったし、ゼロヨン最速バトルにもほとんど興味を示さなかった。
 それでも充分速いことは確かだったし、スポーティーカーとして恥じない操縦性能を備えていることも知っていた。だけど、だ。誰よりも速く走るんだ、という姿勢がミラからは感じられなかったのだ。
 その姿からは、「そんなもんはクルマにとって大切なことじゃない!」と言っているようにも見えた。
 だけどそれは、僕らの目にはある意味で負け惜しみのように映っていた。僕だけじゃないはずだ。読者のみんなもそう感じていたはずだ。クルマの仕上がりはいい、でも最速ではない、最速になれない、ただそれだけのクルマだ、と。
 そして・・・・・・」




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