鐘楼

 

鐘楼はもともと元の大都の中心に建てられたもので、時報の役割をするものでした。
火災のために何回か建て直されたそうで、
今あるのは清の乾隆十年[1745]に再建されたものだそうです。
周りはかろうじて残っている胡同に囲まれていて、
古い生活を彷彿とさせます。

     

すぐ南に鼓楼という太鼓による時報の建物もあるんですが、
余花さんが行った時は改修だか何だかで登れませんでした。
悔しいっ。

 

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  鐘楼の登り口

北側の裏口みたいなところから登るようになっています。なんでこんなこっそりした所に登り口があるのかは不明。
右にあるでかい扉は楼の下部分にある空間に入るためのものなんですが、今はお茶屋さんになってました。ほんとは何に使われたんでしょうか。
裏口の前は草ぼうぼうです。
     
  鐘楼の北面と排水口

普通、鐘楼は南面から見るのがメインなんですが、北側の登り口のすぐ手前から上を見上げたものです。まあ、南から見た時とほとんど変わらないんですが。立派なレンガ積みです。排水口もあります。
中央に位置するぽかっと空いた窓のようなところの奥に肝心の鐘が吊ってあります。高さが50メートル近くあるそうですのでよく響いたでしょう。
     
  登りの階段

急です。
石階段なのでただでさえつるっといきそうなのに、ものすごい急です。しかもほとんど登りに来る人がいなかった。
唯一途中ですれ違った中国人の夫婦は、奥さんの方がおっかなびっくりって感じで降りていきました。落ちたら怖いしな。
マジで45度くらいの勾配があります。ま、今は手すりがついてますが、当時はそんなもんなしでどかどか昇り降りしたんでしょうねぇ。驚異的です。
     
  鐘楼から南東方向

南側にある鼓楼がちょこっと見えてます。工事中です。
むかむか。鼓楼と鐘楼が別々になってるのは、時間によって一緒に鳴らしたりどっちか片方だけ鳴らしたりして何時かわかるようにしたからということのようです。違うかな。
左下に、複雑に入り組んだ胡同が見えています。今は開発でどんどんなくなってるそうですが、ここはいい雰囲気で残ってます。
手前の手すりと擬宝珠は鐘楼の周りの展望台みたいなところへ降りるためのものですが、これもいい形です。
     
 

鐘です。銅製のようですが大きいですね〜。高さ5.55メートル、直径3.4メートル、厚さ120〜245ミリメートル。そして重さ63トン。ほんとかな。でもそれくらい大きいです。
それにしても、63トンが本当ならどうやってこんな高いとこに運んだんでしょう。鐘を吊ってる木組みもすごいです。もう、上のほうは高いし暗いしでどうなってんのかさっぱり見えませんでした。
右下に電話ボックスみたいのが見えてますが、ただの売店です。確か。
     
  通路

鐘楼の上は鐘の音が良く響くように、東西南北に4つ窓があるんですが、その間はこういう感じで暗い通路になってます。中央にある鐘(と木組み)がでかすぎるのと、今は立ち入り禁止の柵があるのとで、真ん中は通り抜けられません。
外が明るいから余計に通路の暗さがすごくてちょっとびびりました。落書きとかしてあってもわからないくらい。暗殺者とか隠れてそう。←?
   
  西の窓から見た徳勝門

確かまだ午前中だったので結構空気が澄んでたせいか、徳勝門の箭楼が良く見えました。門自体は周りの建物が邪魔で見えませんでしたが。昔はこんな5階も6階もある建物なんかなかったでしょうから、門や城壁がずらずら見えていたんだと思います。わくわくしちゃいますね。
鳩さんなんかも飛んでますし。
ちなみに徳勝門から見た鐘楼・鼓楼の写真もあります。
     
  鐘楼の破風

東から見た鐘楼の屋根部分です。破風に綺麗な装飾がしてあります。組み紐の文様でしょうか。緑の化粧瓦と黄色の装飾が(ちょっとかすれ気味ですが)好対照です。
門とかなんかには大抵破風があって、綺麗な装飾がしてあるんですが、これもなかなかのもんです。装飾好きには要チェックです。
でも胡同にも電線。
     
  胡同の中から見た鐘楼

鐘楼は、主に北東から南東にかけてを胡同に囲まれているんですが(西側はマンション)、その中から屋根の隙間にちらちら見える鐘楼の屋根です。胡同も電線があちこち張ってあるので雰囲気はイマイチなんですが、鐘が鳴って見上げたら鐘楼があるっていう生活もいいなぁ。今は鳴らしてないみたいですが。