徳勝門箭楼

北京城の北面西側の城門です。
洪武元年(1368)、元の大都城攻略後に
北部を縮小して囲んだ際に造られた城門ですので
明代からの歴史ということになります。
ただし名前自体は大都城の北面西門だった「健徳門」がそのまま使われました。
その後まもなく徳勝門に改称されたそうです。
現在は箭楼と、甕城の両翼がわずかに残っており、
また幹線道路に囲まれているため、
少し離れた場所からその大きさを眺める事ができます。
箭楼は中に入れるようになっています、一応。
ただ、かなり修復やら改装やらされてしまってるので
ところどころ「?」と感じることもありました。

箭楼のすぐ南側、甕城に包まれるような位置に
なぜか小さな廟堂っぽい建物群がありました。
(何と鐘楼まで備えている)
なんでそんなところにあるのか不明ですが、
とにかく今は「古代銭幣展覧館」という貨幣博物館になってます。
これがまたお寒いもので、お客は余花さん一人。
しかも係りのおばさんは机にうつぶせになって寝ておりました。
そりゃあお昼過ぎですごくいい天気だったけどさ……。

 

 

『明北京城復元図』より
ところで

徳勝門は地下鉄「積水潭」駅(現在の西海の古名「積水潭」がその名前の由来でしょう。てゆーかそのまんま)のすぐ東にあります。
でも余花さんは恭王府花園を見た後、胡同の中をてくてく歩いて徳勝門まで行きました。

途中、後海沿いを歩いたんですが、そこでたまたま撮ってみた写真に鼓楼の遠景(右の写真)が写っていました。この風景は明代からも変わっていないと思います。感慨深いです。偶然ですがいいものが撮れました。(でも水際にある塔か楼閣は何だかわかりません)
→後海西岸から見える鼓楼
(中央でぼんやり写ってる建物)

そして釣り禁止の後海で釣り糸垂らした人々を眺めながらのほほんと休憩していると、何とざばざば泳いでいる人を発見!でもだれーも何にも言わず。いいのかなあ。

 

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  箭楼と甕城の城壁

甕城城壁の西側から北に張り出した箭楼を見たところです。周辺はロータリーのようになっていて、バス乗り場もあるため人通りが多いです。
円形の甕城は初めて見ました(西安の安定門は方形だったので)。カーブが美しいです。ただ、いろいろ直してるっぽいまだら模様が……。
     
  箭楼の扉の把手

箭楼内部は一部公開されていて入れるようになっています。その扉。
ちょっと面白い形だったので撮ってみたんですが、処理が荒いのと、箭楼自体何度も修復されてるそうですので、これは最近のものかもしれません。
     
  徳勝門北の堀

門の外、北側にある堀。の現在の姿です。が、開発途中のようで工事の資材なんかがいっぱいに積んでありました。このあと橋の上まで行ってみたんですが、水はあんまりきれいじゃなかった。
埋め立てたりしちゃうんでしょうか。
   
  徳勝門から見た鼓楼・鐘楼

甕城の城壁上から内城の中心方向(徳勝門から東南東)を見ると、まずうっすらと見えたのがこれです。鼓楼。ズームではなく等倍ですが、結構はっきり見えてます。
あと、左の赤い文字看板に重なったところに実は鐘楼があります。高い建物がなかった頃にはさぞよく見えたことでしょう。
ちなみに鐘楼から見た徳勝門箭楼の写真もあります。
     
  徳勝門から見た景山、白塔

上の写真からやや右方向(徳勝門から南東)。左隅に景山公園の万春亭、右隅には北海公園の白塔が見えます。
これはちょっと遠かったので、3倍ズームで撮ってます。それでもぼんやりがやっとですが。まあ、これでもよく見えたほうでしょう。天気が悪いと景山から故宮が見えないとかありますし。
それにしても内城って結構広いです。
     
  徳勝門箭楼北面

箭楼の北面。つまり城外の堀の上にある橋から撮ってます。逆光です。
往時は箭楼の下に闕門があったはずですが、今はなくなってます。
ところで、ガイドブックなんかでは明末に李自成がここから入城したので実はあんまり役に立たなかったんじゃないか、と書いてるんですが、李自成が攻め込んだのは外城の彰儀門(広安門)のはずなんです。確かに居庸関から一番近いのは徳勝門ですが。本当はどうなんでしょう。